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2018年2月15日木曜日

引用ノック0957:TM

私は「ふふ」っと残忍な笑いをもらしながら、「[……]君は、自分に与えられた天の使命を知ってる?」と言うと、座っていたロボットくんの座高が十センチくらい低くなった。
「それって、誰が言ってるんですか?」と言うので、「孔子だよ」と言うと、彼は「先生は天の使命を知ったんですか?」と突っ込んで来た。私は、「もちろん」と言って、「でももう五十年近く前のことだから忘れてしまった」と言って、更に、「知って忘れてしまうのと、初めっから知らないままでいるんとじゃ、実質が違うからね。人としての実質が」と追い討ちをかけてやった。可哀想な彼は「うーん」と考え込んでいたが、いい加減な年寄りの言うことなんか信じるんじゃねェよ。年寄りが年寄りの話を始めたら、もう若い奴はついてけねェんだから。
「私はまだ百歳ではないけれど、別に百歳だからおめでたいという公式見解はないんだぜ」と言って、私は、九十九歳なら「後一歩で百」だから白寿というが、百歳を祝う言葉はないと教えてやった。
(中略)
 ほとんど『バイオレンスジャック』じゃないかと言うと、ガンダム系のロボットくんは、『バイオレンスジャック』ってなんですかと言った。
(後略)

(橋本治『九十八歳になった私』 講談社、2018.1 )

2017年9月17日日曜日

引用ノック0943:

(……)強制された善はそれだけでもう善ではない。かくしてそれは悪にもなる。ところが、唯一の善であるところの自由な善は、悪の自由を前提とする。ここに自由の悲劇がある。(……)
 善は強制せられ得ない。人を善へと強制することはできない。善の自由は悪の自由を前提とする。ところが、悪の自由は自由そのものをほろぼし、それを悪い必然性へと変性させる結果となる。しかし他面、悪の自由を否定し、もっぱら善の自由のみを肯定することもまた、自由の否定となり、自由が善い必然性へと変性する結果を生む。だが、よき必然性とはすでにもう善ではない。なぜなら、善は自由を前提とするものだから。
(中略)
 この真理を証明するのが、ラスコーリニコフやスタヴローギンの、キリーロフやイヴァン・カラマーゾフの運命である。妄想へと駆られた自由が彼らをほろぼしたのだ。しかしこのことは、彼らが強制のもと、外的に規制する法則の独占的支配のもとにおかれるべきであったという意味ではない。彼らの没落はわれわれに光をもたらす。彼らの悲劇は自由への讃歌である。
(中略)
 ドストエフスキーは、驚くべき迫力をもつ弁証法でもって、人間の意識にたいする反逆的合理主義と、人間の生活にたいする反逆的革命主義との宿命的結末を探求する。無限の自由とともにはじまった反逆は、不可避的に、思考における必然性の無限の支配と、生活における無限の圧制とにおもむく。
(……)もしも世界がもっぱら善であり純粋であるならば、神の必要もなく、世界はすでに神となっているであろう。(後略)

(ベルジャーエフ「自由」斎藤栄治訳 『ドストエフスキーの世界観』(白水社、1960)、『文芸読本 ドストエーフスキイ』(河出書房新社、1974)など所収)

2017年7月30日日曜日

引用ノック0938:

フィチノの影響を受けた一団の人々のなかで最もよく知られているのは、ピコ・デラ・ミランドラ(一四六三―九四)であるが、われわれにとって重要なのは、これらの人々の学説の内容が何であったかということよりも、学説の基礎にある精神が時代の機運に照していかなる意義をもったかという点である。すなわち、新興のプラトン主義は単にプラトンやプロティノス、あるいはヤンブリコスやブロクロスへの復帰だけを意図したものでなく、同時のその哲学的立場からヨハネ、パウロ、アウグスチヌスなどの思想を新たに解釈し直し、一般的にいえばキリスト教と哲学との新しい関連を打立てようとするもであり、アリストテレス哲学に無批判的に追随するかぎりキリスト教の真髄は解明できない、という洞察を主要な思想動機とするものであった。(中略)
 再興されたプラトン主義はその基調において神秘主義的であった。(後略)

(永井博『ライプニッツ [思想学説全書]』「第一章 思想史的背景」 勁草書房、1958年)

2017年7月25日火曜日

鍵盤一打H290724月:

九七五

 この時間に満腹感あるね。
 もうすぐ四桁。中野さん。昔栄治、今省吾か。別ジャンルで浩一と重治を入れて、暫定四天王。

 曇りほか。朝からアジフライ、レタス入り冷やし中華、箱入り豪華弁当、ラム肉とレタス炒め。コーヒー。

 ややねむい。やり残しあり。あす、翌朝、起きた時用のメモをつくっとこう。これルーチンにしよう。

ペスト:
アニメの総集編の要領で。パヌルーは、タクティクスオウガの固有グラのエクソシストみたいな風貌、だとイメージしている。実際どうでしょうか。小さな答えあわせはいずれ。喘息じいさんは魅了されるひと多いはず。
http://2boy-yakyu.blogspot.jp/2016/04/0849.html

 

2017年6月20日火曜日

引用ノック0936:

ラドヴニュ  はい、大審問官殿。

(アヌイ「ひばり」 鈴木力衛訳; 『アヌイ作品集1』 白水社、1957年)

2016年10月31日月曜日

鍵盤一打H281030日:

六九四

 スロースタートな一日、若干血がかよったような感じもする。
 
 日曜の夜は道路が静かだ。眠る前のコンタクト脱着、煩いと思ったことありますでしょう。

漏れ防線:俳句は反実的な、つまり現実を反映していないものも、詠んでいく。ねんのため。

温読書歴091: 坂口安吾『信長・イノチガケ』 講談社文芸文庫、1989
…… >「信長」のみ。尻切れトンボ見たく終わるけど、なかなかというか相当おもしろかった。ビジネスマンが戦国もの(と明治維新もの?)を好む理由に少し近づけた気も。どの世界も強い気持ちがないとやっていけない(弱い調子で)。併録の「イノチガケ」も圧巻というかよかった記憶が。

2016年10月29日土曜日

鍵盤一打H281028金:

六九二

 雨降る。今日は寒い日でしたね、サイトーサン。

 なめことたまねぎを具にし、結果よさを打ち消しあった自作のみそ汁を食う。味はともかく、胃に入れば一緒と念じ。

 午前、ひとつ診察行く。経過まずまずも、進行形。
 諸事煩雑に感じる気配もあるが、ひとつずつ行くほか。もう少し落ち着いたら、本読みも再開かな。低頻度でも最近の本を混ぜてゆければ。

温読書歴089: 吉本隆明「マチウ書試論」 1954
……インタビューなどで見立てや自分なりの関心を固めてから、著作へ行くといい気がしている。修辞や造語をとやかくいうのは、映像作品にストーリーだけ求めるのと同型か。

2016年10月24日月曜日

鍵盤一打H281021金:

六八五

 精神的の疲弊はあったけれど、当者比で良日だった。

 胃腸の調子が悪い。というか、この日は体調かなり悪く、土日はその反動でほぼ何もできなかった。そして日曜夜の話となるが、もう少しの休息で思考や集中力も整っていくような状態までこぎつけた。とにかく胃腸の絶不調が、てき面に諸々削いでくる。おやすみなさい。

温読書歴083-1: 凝然大徳『八宗綱要』 講談社学術文庫、1981
……通過しただけの読書という感じで、頭に入らなかったが、まあ。新書なり、よりライトなものを経て再登もあるか。
温読書歴083-2: ユクスキュル『生物から見た世界』 日高敏隆・羽田節子訳 岩波文庫、2005
……狭義では哲学に分類されないのだろうが、フッサール現象学だったか、の源流(のひとつ)とする説をどこかで見たような。ハイデガーだったような気も。 >小著名著

2016年10月20日木曜日

鍵盤一打H281020木:

六八四

体が硬くなっている。諸々連動しとるやね。元カープの達川氏はしゃべることでリズムを作っていくとかなんとか。にしても、相当の反発を通過・経験して成立させているだろうから簡単に真似はできない。(一般人の雑談にそこまでハードルをあげても、という考えも他方であり。)
 閑話休題。中日の変則左腕、日笠に「モノが違います」と言ったことを、憶えている。記録参照したら、一年大活躍の年が在る。

 あすに備えてそろそろ寝たい。が、さっきまで数時間寝ていたので、どうなるか。適宜仮眠など取って、他の時間は諸事に充てたい。また。

温読書歴081: 古井由吉『神秘の人びと』 岩波書店、1996
……書き手が大病あけての著作。キリスト教信者の神秘体験をマルティン・ブーバーが編んだ本をもとに、古井が語っていく。今なら頂点をみて感想述べるが、当時の自分の偏狭な愚直さも誠実で、悪くない。と思う。 >3章にあたる、「虚白の部屋」が白眉。 川本ケンの『ニンゲン合格』のレビューに鮮やかにつかわれている。[雑誌『スタジオ・ボイス』に掲載] 「神の中に愛を見なかった。わたくしは非愛となった。」 後半はややトーンダウンか。

良フレーズ庫: もれなく四百勝投手(暴力大将:説教)

2016年8月27日土曜日

鍵盤一打H280825木:

六二八

 朝、野菜炒め。昼、揚物おかず。夜、食パン。

 連絡が億劫なの、結局は張り合いとかそんなものがきっかけで、抵抗が変動する世界なんだろう。

 あした、カナブンの力つきたところを発見するだろう。魔人竜 GOの世界。があるかは知らんが想像は膨らむ。

温読書歴025: ダンテ『神曲 地獄篇』 平川祐弘訳 河出文庫 2008
……『失楽園』はサタンが主人公でもないが、そう読める(読めてしまう)のも事実。再構成・翻案された『ドレの~』シリーズが比較的短い分量でエッセンスを含んでいて読みやすいだろう。この辺のは伊達に時のふるいにかけられて残ってない。が、古臭い所もある。自分は到達点で見る。年とともにたいてい自由に出来る時間は少なくなっていく。同時に年経た人間でこそ味わえるような作品もある。例えば老いがテーマのひとつである『ファウスト』とか。どうにもならない挫折ってのも、若者とそうでない人間では違うので、作者の執筆時年令を見るというのはアリか。大家巨匠による、自身の円熟とからみ合った古典的作品という趣きあり(『神曲』)。冒頭だけでも。後は飽きたら投げてもいいと思う。

訳が平明で読みやすかった。 
たぶん、一般のイメージより余程面白い(エンターテイメント的な意味で)と思う。 
第三十四歌、コキュトスのサタンが印象に残る。 
このあと、煉獄篇なのだけれど、興味としてはサタンを主人公にした『失楽園』のほうが読みたいなあ。

2016年8月9日火曜日

英単語0044:ユーロ

Euro……ヨーロッパの(名:Europe)

※Europa→エウローペー、ユーロパ(女、白い牛)
ギリシャ神話でゼウスの寵愛を受け、クレタ島へ連れて行かれた。
スペイン語で西の果て、ヨーロッパ

2016年8月4日木曜日

鍵盤一打H280803水:

六〇六

 ブルーレットおくだけのパチモンを、百均で買ってきた。これだけで幸福度がそうとう上がるのだから、手数は大切だ。単純な脳味噌、脳髄に寄せていく工夫も大切だろう。

 出掛けに手間どったり、時間を間違えたりミスおおかった。動く以上は甘受するほかない。「だが」、「が」、のような繋ぎを減らして順接の比率を増やしてゆきたい。

 日記も書けなくはないが、どうも気が乗らない。本当になんでも書けたら。
 二日か三日に一遍、惹句を付することにしよう。随時マイナーチェンジしていく。

さいきんの読書:
 最近は『赤ヘル偉人伝』と竹田(青)数冊、そして近藤ようこ『逢魔が橋』から懐かしくなり『水鏡綺譚』を読む。『ドン・キホーテとサンチョの生涯』(ウナムーノ)、ようやっとだが、『ドン・キホーテ』を読み終えた。気合一発で読んだ甲斐があり、セルバンテスとホメロスに共通のものを取り出せた様に思う。大御所でも固有名はどうでもいいけれど、作品と作者と読者の関係について思うところあり。ケチなので、ここにサクッとは書かない。

温読書歴:11,12,13
011: 楳図かずお『イアラ』
……序章の「さなめ」が素晴らしい(らしい)。答えより問いのスケールが大きい(らしい)。読後ことある毎に「イアラー!」と叫んでいた記憶がうっすらある。既に青年とは言い難い年だったが、瑣末なことに捉われては偉業を成就したり、気勢をあげたりすることはできないのだ。
012: 大島弓子『バナナブレッドのプディング』
……当時はよくわからなかった。今はそれなりに追える筈。そして語る性向・駆動力は減じている。
だいぶ昔の読書なので、このコーナーは難しいところもある。「当時の感じ方」を対象に語る感じだろうか。自分得かもアヤしいもんだが、コストもかからんので、続けてみよう。(ボリュームと繰りすぎに注意か。)
013: 古井由吉『神秘の人びと』 岩波書店、1996年
……うーん、この本くらいの知名度、普及度になると、本の内容紹介も必要か。今更か。ダルい。そして、1から遡って付け足すか。
マルティン・ブーバーというひとがドイツ語で編んだ、当時の人びとの神秘体験告白録(当時邦訳なし)。これに、作者が注釈をつけたり持論を展開したりしていく形式。たしか古井は大病のあけた後。
「虚白の部屋」がダントツにすばらしくて、なぜ俺がこんなの(失礼)読んでるかというと、川本ケンというひとの黒沢清『ニンゲン合格』評に出てきたから。脱線するが、たいして興味ないのに箔づけで宗教なり学問なり文学なりを読んで威張る奴は、全員撃墜されろと思う。(付言:もちろん職業・生活上で必要な場合は除いて。付け焼刃だったり有機的に結びついてない表面上の知識に気圧されて、有望が去って無望が残る状況があるなら厭だなと思う。どの分野でも。)
閑話休題。「虚白の~」に使われている女の告白は、シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』とだいぶ内実が重なるとみている。要するに、神に愛がないのが最高、救いなんだという。個人として掘り下げていけば字面上はともかく精緻で深い思想なんだろうと思うが、決定的に社会と親和性が低い気もしますわね(張本風)。支持。
ブーバーはスラッガーな感じがしませんか。面白いけれど単調な書物を読む場合、そんな感じの色彩投影もアリでは。ちなみに『イリアス』(イーリアス)は、guchonの「穴水」をBGMにして読んだ。

2016年7月8日金曜日

引用ノック0879:AO

ヘクトルの未亡人アンドロマケは、ギリシア軍のある大将の妻となって一人の子をもうけましたが、良人(おっと)が死んで、息子の後見として国の政治を見ているうちに、同じく捕虜となっていたトロイアの王族ヘレノスと結婚したのでありました。(……)
ここからアエネアスらはシチリアの海岸に沿うて行くと、キュクロプスの島を通りました。(……)こうしているあいだにポリュペモスが現われました。不恰好(ぶかっこう)なすばらしく大きな怪物で、ただ一つの眼はつぶれていました。(後略)

(ブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話 付 インド・北欧神話』「第三十一章 アエネアスの冒険」 野上弥生子訳 岩波文庫、1978年 改版)

2016年6月7日火曜日

今日の本屋312:古希羅馬中世騎士 古書

2016年5月13日金曜日

引用ノック0860:

そう言ったあと、恐らく自分の耳を聾するばかりの満堂の喝采と賞賛の声が忽ちあがるものと思い、期待に胸をふくらませ、暫時佇立していた。ところが、意外にも、四方八方から彼の耳を襲ってきたものは、無数の舌、舌、舌から洩れてくる不気味なしゅっしゅっという声であった! 満堂の会衆が公然と発する軽蔑の叱声であった! どうしたことか、とその異様さに驚いたが、次の瞬間、こんどは自分自身の異様な変化にさらに驚いた。(……)そして、そこには腹這いになったっまま必死に、だが空しく、踠いている一匹の巨大な蛇の姿があった。

(ミルトン『失楽園(下)』「第十章」 平井正穂訳 岩波文庫、1981年)

2016年4月4日月曜日

引用ノック0838:EP2(悪霊02)

どうあがいても わだちは見えぬ、
道踏み迷うたぞ なんとしょう?
悪霊めに憑かれて 荒野のなかを、
堂々めぐりする羽目か。
…………………………………
あまたの悪霊めは どこへといそぐ、
なんとて悲しく歌うたう?
かまどの神の葬いか、
それとも魔女の嫁入りか?
A・プーシキン

 そこなる山べに、おびただしき豚の群れ、飼われありしかば、悪霊ども、そこの豚に入ることを許せと願えり。イエス許したもう。悪霊ども、人より出でて豚に入りたれば、その群れ、崖より湖に駆けくだりて溺る。牧者ども、起りしことを見るや、逃げ行きて町にも村にも告げたり。人びと、起りしことを見んとて、出でてイエスのもとに来たり、悪霊の離れし人の、衣服をつけ、心もたしかにて、イエスの足もとに坐しおるを見て懼れあえり。悪霊に憑かれたる人の癒えしさまを見し者、これらを彼らに告げたり。  
                      ルカ福音書、第八章三二─三六節

第一部

第一章 序に代えて──
ステパン・ヴェルホーヴェンスキー氏外伝


1

 今日までなんの特記すべきこともなかったわが町において、最近、相次いで起ったまことに奇怪なる事件の叙述に手を染めるにあたり、私は、おのが非才のいたすところとはいえ、いささか迂遠なところから、すなわち、才能ゆたかにして最も尊敬すべきステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホーヴェンスキー氏の一代記にかかわる若干のディテールからして、稿を起こすことを余儀なくされている。とはいえこのディテールは、本題の物語のほんの前置きをなすにすぎないのであって、私が記述しようとする出来事そのものは、追ってまた展開されることになるのである。
(後略)

(ドストエフスキー『悪霊(上)』江川卓訳、新潮文庫 1971年)

2016年3月12日土曜日

鍵盤一打H280309水:

四六一

 ソーメン。(この日に食いました。)土田世紀『編集王』明治篇で細胞は~入れ替わるというくだりが印象的ですが、おそらく同時期にヤングサンデーで連載されていた橋本治の連載は、ひりつくような切実さがあった。需要と供給と呼ぶと乾きすぎで、過去の蓄積と現在・未来が混在してこそ、大量流通されるべき表現でありましょう。

 実生活、特筆事項なし。JGO26すばらしかった。

今日の長門イズム:
河合隼雄の中空理論→『中空構造日本の深層』 cf. http://1000ya.isis.ne.jp/0141.html
今日のDVD:
『ラストコンサート』……みない人が多いのは仕方ない。ふつう食指が動かないやね。当時もメロドラマと舐めてかかる評論家が居た模様。が、自分は名作だと思う。伝えたいものに限らず、切実な、ずば抜けた何かが一つあれば、表現はそれでいいと思っている。返せばいくら完成度が高くても熟練の腕によるものでも、それがなければ……。
台詞や構造をみると、北野武監督の『キッズ・リターン』(cf.サントラのジャケとステラ)や『菊次郎の夏』と関連がありそうに思われる。他方、内藤誠氏が携わったベトナム戦争の記録映画は重要らしく、氏の著作にそんな記述があった筈(要確認)。

2016年2月23日火曜日

引用ノック0829:

たぶんこのふたつの原因は、どこかで底をつうじていた。この初期の構想が挫折したときに、はじめて身ひとつになって童話や詩を宗教の流れに、また宗教を童話や詩の流れに融合させようとする考え方に転換した。またそこから(後略)。

(吉本隆明『宮沢賢治』「手紙で書かれた自伝」ちくま学芸文庫、1996年)

2016年2月9日火曜日

鍵盤一打H280208日:

四二九

 肉を焼くっていうのも合理的だけど、出始めは嫌悪感を覚えるはらからも少なからず居たんじゃないかと夢想。文献の有無も善し悪しで。本当に物事一本道ならいっそミトコンドリアにでもなりたいね、という気分。

 図書館へ本を受け取りに行った。『アメリカの反知性主義』、すっごい分厚いよ。やや粗くてもいいから、今回読みきりたい。西崎義展(よしのぶ)の評伝も非常に面白そうだが、予想より重厚なので読書ギアをあげてゆきたい。帰り道にラー(メン)。

今日のメモ(農業):
種を蒔く季節というフレーズを思い浮かべて、農業と時間について書かれた本を読みたいと思う。昔はミルチャ・エリアーデとかも読んでたな。生活安定させて回帰したら、以前よりも分厚い、また本当に気の合う奴らも出来るかもしれない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%87

2016年1月23日土曜日

鍵盤一打H280122金:

四一三

 厚情に対して非礼と浅ましさで返したなあ、と振り返る場面あり。詫びるのにも洗練が必要だが、拙さの中で成長していくほかない。

 衝突あり。収拾力なりフォロー力なり、その場でうまい方向へ誘導する機転なり、会得の必要あり。
 今日の日記はいかにも冴えないが、まあ仕方ない。寧ろ冴えてたことあったのか。(いまだ光るものなし。)

 あすもあすとて、やることがある。あるのはだるいが悦ばしいことだ。

撮ってもらった、自分の写真を見る。こんなに弛緩してアカン感じの奴だったのか自分は。自身を客観的に眺める切っ掛けになっていくと思う。つまりは凹んだということだ。ラッキィである(町田康『供花』)。

 いずれにせよいつか死ぬので、立ち続けるためのささやかな一歩と事後的になれば、うれしい。

今日のCD:
ゆらゆら帝国『ゆらゆら帝国Ⅲ』
山下達郎『JOY』(1,2)