──突然はじまりました、このシリーズ。
週一回くらいの頻度で本を紹介して、全50回で完成する予定です。
榎本喜八と王貞治を輩出した荒川道場。
榎本氏が伝授された打撃理論のひとつに、「バッターは城だ」という旨の教えがあったと、伝えられてあります(松井浩『打撃の真髄 榎本喜八伝』)。
城の中に築城というフレーズから、書き残しておきたいことを思い出し、以下に記します。類似の着想その他はさんざ既出でしょうが、人間自分の知る範囲でしか語れないのでご容赦を。
http://2boy-yakyu.blogspot.jp/2015/11/h271122.html
サリンジャーの小説(たしか『フラニーとゾーイ』収録の短篇)で、「キリストが神殿の中で無茶苦茶に暴れるようなところ、好きンゴねえ」と不埒な登場人物が熱っぽく語るシーンがあります。
ひとによっては気を悪くするかもしれませんが、キリストがマグダラのマリアを特別待遇しているようなところもなんだかアバウトで、素敵な感じしませんか。
解釈はそれぞれですが。キリストが神殿の中で暴れるくだりは、次のような解釈があります。
「神聖なはずの神殿で”損得勘定”するのは絶対に許せない」。ために大暴れした。(cf.「アイドントライクトレード」) 市内で商いをするのは全然OKだよと。バッター、もとい心は城だから、そんなきれいごとでは外敵a.k.a.バルバロイに攻め込まれて即全滅ゆえ。そして神殿は魂の領域、聖域なのだからそこへ損得勘定──ご利益信仰が典型例か──を持ち込むのは許せないよと。市街と神殿の(空間的な)比喩は発展して考えを広げやすく、滋味ぶかいものがある。
わたしはこれを記録しておきたかった(関根潤三風)。(関根正雄氏の訳評をもとに、いつか『ヨブ記』もとりあげたいですが荷が勝っておりますな、宗匠。果たして憶えているでしょうか。そこを第一関門と定めて鴨志田150キロ)
というわけで第一回の一冊は、田島照久編訳『エックハルト説教集』(岩波文庫)でした。同書ではもっと先まで考察してあったと、記憶しております。
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