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2020年5月3日日曜日

引用ノック1046:

 …学期  行動のようす              

    目 標        良い ふつう 気をつけましょう
 生活態度 礼儀正しさ        ○          
    計 画 性                  ○
    積 極 性                  ○
    協 調 性                  ○
   誘惑に負けない公平な心             ○
  勉強への意欲       ○

(小田扉『こさめちゃん 小田扉作品集』「話田家」「第3話/姉の一日」「あゆみ」 講談社、2001年)

引用ノック1045:

 実際に「いじめ」の事例を考えてみればわかるでしょう。「いじめ」に遭う生徒がそこからどう回復するかという問題は、「いじめ」に遭った場合にどう生き延びるか、という処方箋には終わりません。どれだけ困難であろうと、そこにはじまり、さらに、どうすれば「いじめ」る社会の硬直がほぐれ、「いじめられ」る生徒の心の硬直もまたほぐれる形で、社会と生徒の双方が再生することを通じ、彼と社会の関わり合いをもう一度作れるようになるか、という最終的な課題がそこには含まれています。

(加藤典洋『村上春樹の短編を英語で読む 1979~2011 下』「第三部 中期 孤立と危機」「第11章 村上春樹、底を打つ。」 ちくま学芸文庫、2019年)

2020年4月21日火曜日

引用ノック1044:弓子シリーズ

(はる)は長雨(ながさめ)
どうして
こんなにふるのか
さっぱりわからない

どうして急(きゅう)
だれも
いなくなったのか
さっぱりわからない

だめだ
ポリバケツの
ふたを
あける力(ちから)もないや

(中略)

人間(にんげん)には二(ふた)つのルート
ひとつは人間(にんげん)の形(かたち)をした普通(ふつう)の赤(あか)んぼうから
大人(おとな)の人間(にんげん)に成長(せいちょう)するルート
もうひとつは
(ねこ)がある時点(じてん)で変身(へんしん)して
人間(にんげん)になるルートがあって


その双方(そうほう)とも人間(にんげん)から生(う)まれてきたものと
(かた)く信(しん)じている

(大島弓子『綿の国星 第1巻 シルク・ムーン プチ・ロード』 白泉社文庫、1994年)

2020年4月20日月曜日

引用ノック1043: 無い!!

ほんのち いさなあ きらめが あつめら れたよ
びんずめ のためい きのふた があけら れたよ
じかんの うただ とけいが りずむだ

(ゆらゆら帝国「無い!!」)

2020年3月11日水曜日

引用ノック1042:

 今日は第一回ですが、「哲学とは何か」──これはこの講座の最終的テーマでもあるわけですが──について、いちおう定義するところからはじめてみます。

哲学とは、「世界がじっさいにどうなっているか」を考えるのではなく、「世界像をつくりだして生きている人間」について考える学問である。それはなんらかの、世界像の危機から起こってくる。

 この「世界像」とは、要するに、世界の「像」です。「世界ってこんなふうになっている」ということを、どんな人でも動物でも、それなりに理解しているわけですが、そうした世界の理解内容のことを、すべて世界像と呼ぶことにしましょう。
 動物の場合はどうでしょうか。たとえば哺乳類を考えてみると、敵か仲間か、という区別があります。そして同類のなかでも、異性か同性か。また場所についても、安全なところと危険なところ、水を飲めるところ。食べられるものと食べられないもの。そういうふうにして、動物も、この世界についてそれなりの「とらえ方」をつくって生きているわけです。
 そうした世界像は、客観的に存在する世界の秩序を「写し取って」いるのではない。そうではなくて、生きていくために世界を「秩序づけて」(分節して)いるわけです。つまり世界像とは、生きていくための世界の秩序づけである、ということができます。
 こうした秩序づけは、動物の場合には、種によってだいたいの枠が決まっていると考えられますが、人間の場合には、文化により、個々人により、きわめて異なった多様な世界像をかたちづくっています。それはなぜかというと、人が言語をもつためだとぼくは考えていますが、しかしこのことは次回にまわして、まずは人間の世界像の基本要素を考えてみましょう。
(中略)
 人間には個人だけの楽しみもありますし、誰もが「ほんもの」をめざしてがんばらなくてはいけない、ということはない。でも、社会のなかに「こういうのがいいよね」といって確かめあうような空気が出てくること、じっさいにさまざまなそういう営みが社会のなかに育っていくことが大切で、もしそうならないとすれば、私たちの社会は、大変しんどい、孤独な社会になっていくと思います。
 私たちの社会はある意味では、いまはじめて、近代が行きつくところまで行きついたともいえる。後発近代のときには、まだ、追いつけ追い越せの目標があたえられていた。それがなくなって、まっさらになってしまった時代がいまですね。
 ここからスタートして、われわれは何を信じられるのか、何がよいことで何が素敵なのかということを確かめあったり、つくりあったりしないといけない、そういう時代にいまなってきてるんだと思います。

(西研『大人のための哲学授業』「第一回 ”世界像の危機”と哲学の役割」 大和書房、2002年)

2020年2月26日水曜日

引用ノック1041: VS十六茶

はとむぎ、玄米(発芽玄米2%)、大麦、どくだみ、はぶ茶、チコリー、月見草、ナンバンキビ、オオムギ若葉、明日葉、杜仲茶、ヨモギ、キヌア、タンポポの根、あわ、きび、ひえ、小豆、キダチアロエの葉、シソの葉、柿の葉、びわの葉、桑の葉、オリーブの葉、ハマナス / ビタミンC

(『爽健美茶』のラベル)

2020年2月6日木曜日

引用ノック1040:

『アメリカの鱒釣り』の表紙は、ある日の午後おそくに撮られた、サン・フランシスコのワシントン広場に立つベンジャミン・フランクリン像の写真である。
(中略)
 銅像の土台のまわりには、世界の四つの方角に向けて、四つの言葉が彫りつけてある。東に向けて、ようこそ、西に向けて、ようこそ、北に向けて、ようこそ、南に向けて、ようこそ。銅像のすぐ後には三本のポプラ。てっぺんを除いては、ほとんど葉がない。銅像はまんなかのポプラの前に立っているのだ。二月上旬、雨のせいで、銅像のまわりの芝生はどこもかしこも濡れている。
(……)
『アメリカの鱒釣り』の表紙に午後五時が訪れるころ、教会の向い側の公園に人が集まってくる。かれらは腹をすかしているのだ。
(……)
ベンジャミン・フランクリンの自伝を読んで、アメリカについて学んだのはカフカだったかな……「アメリカ人は健康で楽観的だ。だからわたしはかれらが好きだ」といったカフカ。

(リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』 藤本和子訳 晶文社、1975年 : Richard Brautigan "Trout Fishing in America" in 1967)

2019年11月21日木曜日

引用ノック1038:

プロ野球が16球団になりました
ここはセ・リーグに増えた
2球団の1つである
新潟(にいがた)ドルフィンズの
ホームグラウンド
ハードオフエコスタジアム新潟

そしてそこから鳥屋野潟(とやのがた)
挟んだところに
鳥屋野潟少年野球場があります

その野球場のライト後方の
畑の片隅にポツンと
女池(めいけ)少年野球クラブの
小屋があります
(ザー ザー ザー)
(ザー ザー)
(カキーン)
「ああ~~」
「すっげえ────」
(ワー ワー ワー ワー)

(水島新司『ドカベン ドリームトーナメント編 1』 2019.8 秋田文庫)

引用ノック1037:

ふんだんに刺繍の施された布は
時に貨幣以上の価値を持つ

作り手の社会的地位と帰属を表し
その人となりを物語る

特別な1枚は特に入念に仕上げられ
受け継がれるその家独自の文様には

気が遠くなるほどの時間と手間と…………

(中略)

とはいえその姿には
気負ったところは見られない

談笑しながら針を刺し
仕事の合間に糸をつむぐ

そうするのが当たり前で
ごく日常の風景であり

つまりは生活である

(スミスのノート: 森薫『乙嫁語り 2』「十話」 2010年、株式会社KADOKAWA)

2019年11月17日日曜日

引用ノック1035:グロフの時計

「時計ぬすんだの ぼくです」
「では返してくれ」
「こわくなって沼にすてました」
(中略)
「そのうえの窓も全部あけてくれ いい陽気になってきたな」
(カタ)
「ひょんな話だが昨夜お茶を飲んでたらなくした時計が出てきた 意外なとっから見つかるもんだ」

(萩尾望都『ポーの一族─2』「小鳥の巣」1973年5月 :1988年、小学館叢書ほか収録)

2019年11月16日土曜日

引用ノック1034:川島アキレウス評

アキレウスはほとんど完全に伝統的な名誉観から自由になっていると見てよいでしょう。しかし彼は何に向かって自由になったのでしょうか。ここでアキレウスは母なる女神が告げたという、ふた筋の運命の道に言及します。それはこのまま踏み止まってトロイアの都を的に戦うなら、故郷に帰る機会は失われるが不滅の名誉を得る。他方、故郷に帰れば、誉れは失せるが寿命は長く保たれるだろう、というものでした。(……)アキレウスは彼の自由が向かってゆくべき真の対象をいまだ見出していないのです。それはホメーロスの英雄として、やはり名誉でなければならなかった。しかし伝統的な名誉観から自由になったかれにとって、それはまったく新しい内容の名誉でなければならなかったはずです。彼はこの間、まさにその新しい名誉を手探りしていたのではないでしょうか。しかしそれをしかと自覚してはいなかったし、ましてそれを積極的に表現する言葉も与えられてはいなかったのです。

(川島重成『『イーリアス』 ギリシア英雄叙事詩の世界』 岩波書店)

2019年10月11日金曜日

引用ノック1036


 「ああ。なあ、もしお前にとくにどこかに行く予定がないとしたらだな、俺にお前のあの千鳥格子(ハウンドトウース)の上着を貸してくれないか?」
(中略)
 「時刻はまだ早かった。何時かはわからないけど、まだそんなに遅くはなってないはずだ。」
(中略)
 ちょっと前まで雪が降っていたなんてまったく嘘みたいだった。歩道にはもうほとんど雪は残っていなかった。でも凍りつくように寒かった。それで僕は赤いハンティング帽をポケットから出してかぶった。見かけなんてもうどうでもいい。
(中略)
 僕は日曜日でも開いているレコード店をどこかでみつけて、このレコードを買い、それを持って公園へ行くつもりだった。日曜日だったし、フィービーは日曜日になるとしょっちゅう公園に来てローラースケートで遊んでいたからだ。だいたいどのへんにいるかもわかっていた。
 前の日みたいなとてつもない寒さじゃなかったにせよ、太陽はやはり姿を隠していたし、絶好の散歩日和ってわけでもなかった。でもひとつ愉快なことがあった。ついさっきどこかの教会から出てきたばかりとおぼしき一家が、僕のすぐ前を歩いていた。父親と母親と六歳くらいの男の子。彼らはどっちかというと貧しそうに見えた。父親は貧乏な人がシャープに見せたいときによくかぶるようなパール・グレイの帽子をかぶっていた。(……)そういうのって小さな子どもがよくやるじゃないか。そしてそのあいだずっと唄を歌ったり、ハミングをしたりしているんだ。何を歌っているのか知りたくて、僕はその子の近くに寄ってみた。その子の歌っているのは、「ライ麦畑にやってくる誰かさんを、誰かさんがつかまえたら( If a body catch a body coming through the rye)」という唄だった。(……)でも両親は子どもにはまったく注意を払っていなかった。そして子どもは歩道の縁に沿って歩きながら、「ライ麦畑をやってくる誰かさんを、誰かさんがつかまえたら」と歌い続けていた。それを聴いていると気持ちが晴れてきた。僕はもうそれほど落ち込んでいなかった。
(中略)
 でも君はキャンディーやガムなんかをたっぷりと持っているから、場内には甘い香りがぷんと漂うことになる。まるで、外では雨が降っています、というような匂いがした。たとえ実際には降っていなくてもね。で、この世界中で唯一(ゆいいつ)、僕らの今いる場所だけが、からっと乾いて居心地がよくてなごめる場所なんだ、みたいな。僕はその博物館がなにせ好きなんだ。
(……)カヌーの最後尾にはすごく気色(きしょく)の悪いやつがいる。仮面なんかつけてさ。呪(まじな)い師なんだよ。こいつにはぞっとさせられたけど、にもかかわらず僕はこいつのことが好きなんだ。
(中略)
 彼は腕時計に目をやった。そして「行かなくちゃ」と言って立ち上がった。「それじゃ、また」。
(中略)
 彼は僕が貸したタートルネックのセーターを着ていた。そのときジェームズの部屋にいた連中は、放校処分にされただけだった。監獄にも入らなかった。
(中略)
 たしかにフィービーの言ったことが正しい。本当は「誰かさんが誰かさんとライ麦畑で出会ったら」なんだ。でもそのときは知らなかった。
 「てっきり、『誰かさんが誰かさんをライ麦畑でつかまえたら』だと思ってたよ」と僕は言った。
(中略)
 「もう行こうぜ」とその子は兄貴に言った。「俺はもう見ちまったよ。なあ、もう帰ろうよ」、それからその子はぱっと身を翻して逃げていった。
 「まったく、とことん肝っ玉の小せえやつだな」ともう一人は言った。「じゃあな!」と彼は言うと、あとを追って行ってしまった。
(中略)
 フィービーときたら、やれやれ、僕とは反対側の歩道を動物園に向かって歩いていた。

(J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』 村上春樹訳 白水社、2003年:  ”The Catcher In The Rye” 1951)

2019年10月4日金曜日

引用ノック1032:

年だけとった凡庸な将軍たちの期待に、レビルは苦笑するしかない。
「戦場で、異常に強い能力をみせる兵がいるのは珍しいことではない。わたしは、ニュータイプというのは、戦争をしないですむ人類のことだと思っている……頭痛かな……?」
(……)
 心配することを仕事と勘違いしている将軍のひとりは、てきぱきと若い兵に指示をだす。
 物事の骨幹(こっかん)を洞察しようとする意思をもった老人は、その頭痛がいつものものとちがうと直感する。
(中略)
 甘美で楽な想像だったが、それでは、なにも起こりようがない。
 人知れず死ぬのは寂しい、と予感する。


(富野由悠季『密会 アムロとララァ』 角川文庫 2000年 :初出 1997年 角川mini文庫)

2019年10月3日木曜日

引用ノック1031: ("Does anybody really know what time it is?")


 それのはじまりは、やっぱりその後の色々のことと同じようにカラオケボックスの中でだった。
「……暗くて静かで、長くて遠い」
 と、三都雄くんが訳のわからないことを言いだしたのだ。
「なによそれ? ぜんぜんわかんないわよ、そんなんじゃ」
 とあたしはもうこの段階でさえ何度も何度も言っていた言葉をまた使っていた。その日は、あたしの予知した”血の匂い”のことをみんなで探ろうということになっていた。
(中略)
「血の匂いだな、やっぱり、お前と同じで」
 彼は右肩を上げて言う。
「じゃあそいつは未来を暗示する香りよ。あんたとあたしは、やっぱりどっかで、また道端とかでぶつかるようことになるんだわ」
 あたしは人差し指を立てて、女教師みたいなエラそうな態度できっぱりと言った。
 そして二人して笑った。
 その笑いは、前にしていたような底なしの陽気さはなかったけど、でもやっぱり──やっぱりかけがえのない温もりのある、そういう笑いだった。

(上遠野浩平『ブギーポップ・イン・ザ・ミラー 「パンドラ」』「9. 血 ”Blood”」 1998年 電撃文庫)

2019年10月2日水曜日

引用ノック1030:

「死にそこなって目が覚めたよ」
「義理とか人情とかなんの役にも立たん……とな。」
「あンた。」
「なんだ?」
「流されたな……時代に。」
「哀れな奴。」

(能條純一『哭きの竜 ~Genesis~』 小学館 2017年)

2019年9月16日月曜日

引用ノック1029:

 国民国家がいつか波打ち際に指で書かれた文字のように消えていく存在だと知らされて、そうか、それなら、とそこから考えはじめられるような状況には、わたし達はないのではないだろうか。そう考えはじめるには、それまでにやっておかなければならない侵略国「国民」としての仕事が、わたし達に残っているのではないだろうか。そしてそこからはじめなければ──何度もいうが──わたし達に国民を再定義し、よりひらかれたものにする起点は、築かれないのではないだろうか。いま大人であるわたし達は、すべての戦争は「悪」だろうと考えるにいたっている。しかし、それは、いまやどこにも十歳の子どもなど、いない、という苦い明察と裏腹である。国民国家の消滅を眼で追いながら、しかし手は汚れたまま、これまでのツケを返済しつつ事にあたる、これが起点に「汚れ」をもつ、わたし達の姿勢だろうというのが、わたしの考えなのである。

(加藤典洋『敗戦後論』「敗戦後論」 講談社、1997年 : 「敗戦後論」初出 『群像』95年1月号)

2019年9月12日木曜日

引用ノック1028:

「(前略)ほら、お前だって目がかがやいているじゃないか。詩はもういい。今度はお前に《虫けら》のことを話したいんだよ。神に情欲を授けてもらったやつらのことをな。

  情欲は虫けらに与えられたもの!

 俺はね、この虫けらにほかならないのさ、これは特に俺のことをうたっているんだ。そして、俺たち、カラマーゾフ家の人間はみな同じことさ。天使であるお前の内にも、この虫けらが住みついて、血の中に嵐をまき起すんだよ。これはまさに嵐だ、なぜって情欲は嵐だからな、いや嵐以上だよ! 美ってやつは、こわい、恐ろしいものだ! はっきり定義づけられないから、恐ろしいのだし、定義できないというのも、神さまが謎ばかり出したからだよ。そこでは両極が一つに合し、あらゆる矛盾がいっしょくたに同居しているからな。俺はひどく無教養な人間だけれど、このことはずいぶん考えたもんだ。恐ろしいほどたくさん秘密があるものな! 地上の人間はあまりにも数多くの謎に押しつぶされているんだ。この謎を解けってのは、身体を濡らさずに水から上がれというのと同じだよ。美か! そのうえ、俺が我慢できないのは、高潔な心と高い知性とをそなえた人間がマドンナ(訳注 聖母マリアのこと)の理想から出発しながら、最後はソドム(訳注 古代パレスチナの町。住民の淫乱が極度に達し、天の火で焼かれた)の理想に堕しちまうことなんだ。それよりもっと恐ろしいのは、心にすでにソドムの理想をいだく人間が、マドンナの理想をも否定せず、その理想に心を燃やす、それも本当に、清純な青春時代のように、本当に心を燃やすことだ。いや、人間は広いよ、広すぎるくらいだ、俺ならもっと縮めたいね。何がどうなんだか、わかりゃしない。そうなんだよ! 理性には恥辱と映るものも、心にはまったくの美と映るんだからな。ソドムに美があるだろうか? 本当を言うと、大多数の人間にとっては、ソドムの中にこそ美が存在しているんだよ──お前はこの秘密を知っていたか、どうだい? こわいのはね、美が単に恐ろしいだけじゃなく、神秘的なものでさえあるってことなんだ。そこでは悪魔が神とたたかい、その戦場がつまり人間の心なのさ。もっとも、人間てのは、痛むところがあると、その話ばかりするもんだ。それじゃ、いよいよ本題に入ろうか」

(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟 上』「第三編 好色な男たち 三 熱烈な心の告白──詩によせて」 原卓也訳 1978年、新潮文庫)

2019年9月8日日曜日

引用ノック1027:

Chris: "Can I see that Lincoln Letter?"
Chris(reading): "Dear Marquis, I hope this letter finds you in good health and stead. I'm doing fine, although I wish there were more hours in a day. There's just so much to do. Times are changin slowly but surely, it's men like you that make a difference. Your military success is a credit not only to you, but your race as well. I'm very proud every time I hear news of you. We still have a long way to go, but hand in hand, I know we will get there. I just want to let you know you're my thoughts. Hopefully, our paths will cross in the future. Until then, I remain your friend. Ole Mary Todd's calling, so I guess it must be time for bed, Respectfully, Abraham Lincoln."
Chris: "Ole Mary Todd. That's a nice touch."
Marquis: "Yeah. Thanks."

(Major Marquis Warren & Chris Mannix in ”The Hateful Eight” in 2015 by Quentin Tarantino)

クリス:「あのリンカーンの手紙を見てもいいか?」
クリス(朗読):「やあマーキス、この手紙と君が、健やかかつ役立つ感じに出会うことを、わたしは望んでいるよ。わたしは好調だ。1日にもっと時間があればいいけれども。時代は少しずつ、確実に動いている。君らのような人たちが変化をもたらすのだ。君の軍における成功は、君だけでなく、君の人種の歩みについての誇りでもある。君についての報せを聞くたび、わたしはとてもうれしく思うよ。わたしたちの歩むべき道はまだ長いが、しかし手に手をとり合って、いつか成し遂げられるだろうことを、わたしは知っている。わたしはただ、君がわたしの希望であることを、君に知ってほしい。願わくば、わたしたちそれぞれの道筋が、未来で交差せんことを。そのときまで、わたしは君の友達でいる。老メアリ・トッドが呼んでいる。もうベッドに行く時間だろう。敬意を込めて。エブラハム・リンカーン」
クリス:「老メアリ・トッドか。いいタッチだ。」
マーキス:「ああ。ありがとう。」

(マーキス・ウォーレン少佐とクリス・マニックス :クエンティン・タランティーノ監督『ヘイトフル・エイト』 2015年、米)

引用ノック1024:

書く方がまだましだと考える理由はほかにもあるだろうか? 少し前にプリモ・レヴィの『休戦』を読んだが、その中で作者は収容所で一緒だった人たち、この本がなければわれわれが出会うことのなかった人たちのことを描いている。その中でレヴィは、彼らはみんな家に帰りたがっていたと書いている。彼らは単に自己保存の本能だけでなく、自分たちが見たことを語り伝えたいという気持ちもあって、生き延びたいと思っていた。自分たちの経験を伝えることで、二度とあのようなことがくり返されないようにしたいと願っていたのだが、理由はそれだけではない。あの悲劇的な日々が忘却の淵に沈んでしまわないように、語り伝えたいと思っていたのだ。
 われわれは誰もが、どれほど恥ずべきこと、苦痛に満ちたものであっても、突然われわれの記憶によみがえってくる生活の断片をすくい上げたいと思っている。

(エンリーケ・ビラ=マタス『バートルビーと仲間たち』 木村榮一訳 新潮社、2008年)

2019年9月5日木曜日

引用ノック1025:

行く我にとどまる汝(なれ)に秋二つ

(正岡子規 : 山本健吉編著『鑑賞俳句歳時記 秋』 文藝春秋、1997年)