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2020年7月4日土曜日

都知事選前日その1(2020.7.4)

久々のブログだ。

キーボードのとなりには、小池(百合子)さんの評伝本が未読のまま置いてある。

都知事選。
どうも気が重いところもある。
なぜか。
選挙について書き始めるなら、自分の投票についての考え方を示す必要があると考える。
そして、それは自分が今までどんな投票をしてきたかについても、説明の必要があるということを意味すると思っている。

自分の考えの点検と、眼の前に差し迫った選挙ということで、なかなか落ち着かない気持ちというのが正直なところだ。
しかしまあ、こんな感じの、強くも弱くもないようなトーンで、なにか(このばあい政治)を語るということも意味があるだろう。か。

10年以上前だったか。
それまで殆ど投票した経験はなかった。
理由も特になかった気がするが、なんだか妙に気になり、受付時間のギリギリに、閑散とした投票所に行った。

住民票の関係で、片道一時間弱くらいかかる距離があった。
その後、微弱に、自分の中で変わるものがあった。
どういうことが自分に起こったのか。
(つづく)

2020年5月25日月曜日

追日記:それはそれとして

先日の日記はぼんやりと書いたので(今もそうだが)、
誤読の芽をつぶしておきたい。

記録については、一言「プライベートの」と添えるべきだった。

日記だから自分のことを書くのが自明と安直に考えて、
社会でいま問題となっている公文書や統計のことなどを、失念していた。

現政権の、公文書に対するラフすぎる態度は、それでいいんだと思わせてしまう波及効果を鑑みても、よくないと思いますよ。

もっと書きたいこともある。
軽くスクワットを20回くらいした翌日、少し足腰の調子がマシに思えたこととか。
しゃべること、記すことの筋力もなまっている。
ではまた。

2020年5月19日火曜日

検察庁法改正について(2020.5.19)

検察庁法改正、現行案のまま成立めざす姿勢 森法相(朝日新聞デジタル)

https://www.asahi.com/articles/ASN5M51LZN5MUTIL02B.html

以下、いまの自分の考えを記しておく。

法案の内容を疑問視していた人から、怒りの声が上がることには頷ける。
いっぽうで、もし与党(国会)が本当に説明不足と感じて強行採決を避けたのなら、そこに関しては筋が通っているんじゃないか。
もしこの理由がダミー/嘘なら、嘘が平気になっている状態をおかしいと、自分は思う。

自分の立場を表明しておくと、すこし前までは法案そのものにも、説明が十分になされない強行採決にも反対だった。
それが、今は法案の中身について、是非が十分に分かったと言い切れないな、と変わってきている。
余白の多い法案というのは、(未来を含む)内閣に、今より強い権限を付与する法律を作るということで、ここは意見が分かれうると思う。

それとは別に現政権固有の問題、黒川氏の定年延長に関する過去の手続きの問題、人事院の規則についてなど、考えるべき要素がたくさんあるようで、
難しい。
書き殴るような問題でもないだろうから、別エントリで書き足したい。

声の上げにくさについて

とくに政治的問題の場合。
声を上げにくい理由のひとつは、じぶんが問題状況のあらましを分かっているか、確信を持てないことじゃないだろうか。

2020年5月3日日曜日

引用ノック1045:

 実際に「いじめ」の事例を考えてみればわかるでしょう。「いじめ」に遭う生徒がそこからどう回復するかという問題は、「いじめ」に遭った場合にどう生き延びるか、という処方箋には終わりません。どれだけ困難であろうと、そこにはじまり、さらに、どうすれば「いじめ」る社会の硬直がほぐれ、「いじめられ」る生徒の心の硬直もまたほぐれる形で、社会と生徒の双方が再生することを通じ、彼と社会の関わり合いをもう一度作れるようになるか、という最終的な課題がそこには含まれています。

(加藤典洋『村上春樹の短編を英語で読む 1979~2011 下』「第三部 中期 孤立と危機」「第11章 村上春樹、底を打つ。」 ちくま学芸文庫、2019年)

2020年4月29日水曜日

日記風メモ

自転車の状態チェックなどをしてもらいに行ってきた。だいたい1か月に一度くらいを推奨されていたのだが。

自転車の利用は災害の時に増えるんですよ、と云っていた。
半屋外みたいな仕事の場所、という条件がある。

(政治に関して、)
堅苦しいフォーマルな議論と、完全に私的でクローズドなおしゃべりの中間、
そういう場所があるといいなと思う。
また、そういう場所にフィットする言葉、話し方(聞き方)、書き方(読み方)が少しずつできていけば、育(はぐく)んでいければ、とも思う。

理念系が先行するものより(あるいはそれと平衡して)、日常の体験や感覚から積み上げられていく政治感覚がさしあたり今のぼくらにフィットするかもしれない。
(狭い界隈しか認識してないかもしれない。また、充分かどうかは別で、フィットするかどうかに限定しての所感だ。)

それはそれとして、部屋の片付けという(おれにとっての)難題がある。

2020年3月11日水曜日

引用ノック1042:

 今日は第一回ですが、「哲学とは何か」──これはこの講座の最終的テーマでもあるわけですが──について、いちおう定義するところからはじめてみます。

哲学とは、「世界がじっさいにどうなっているか」を考えるのではなく、「世界像をつくりだして生きている人間」について考える学問である。それはなんらかの、世界像の危機から起こってくる。

 この「世界像」とは、要するに、世界の「像」です。「世界ってこんなふうになっている」ということを、どんな人でも動物でも、それなりに理解しているわけですが、そうした世界の理解内容のことを、すべて世界像と呼ぶことにしましょう。
 動物の場合はどうでしょうか。たとえば哺乳類を考えてみると、敵か仲間か、という区別があります。そして同類のなかでも、異性か同性か。また場所についても、安全なところと危険なところ、水を飲めるところ。食べられるものと食べられないもの。そういうふうにして、動物も、この世界についてそれなりの「とらえ方」をつくって生きているわけです。
 そうした世界像は、客観的に存在する世界の秩序を「写し取って」いるのではない。そうではなくて、生きていくために世界を「秩序づけて」(分節して)いるわけです。つまり世界像とは、生きていくための世界の秩序づけである、ということができます。
 こうした秩序づけは、動物の場合には、種によってだいたいの枠が決まっていると考えられますが、人間の場合には、文化により、個々人により、きわめて異なった多様な世界像をかたちづくっています。それはなぜかというと、人が言語をもつためだとぼくは考えていますが、しかしこのことは次回にまわして、まずは人間の世界像の基本要素を考えてみましょう。
(中略)
 人間には個人だけの楽しみもありますし、誰もが「ほんもの」をめざしてがんばらなくてはいけない、ということはない。でも、社会のなかに「こういうのがいいよね」といって確かめあうような空気が出てくること、じっさいにさまざまなそういう営みが社会のなかに育っていくことが大切で、もしそうならないとすれば、私たちの社会は、大変しんどい、孤独な社会になっていくと思います。
 私たちの社会はある意味では、いまはじめて、近代が行きつくところまで行きついたともいえる。後発近代のときには、まだ、追いつけ追い越せの目標があたえられていた。それがなくなって、まっさらになってしまった時代がいまですね。
 ここからスタートして、われわれは何を信じられるのか、何がよいことで何が素敵なのかということを確かめあったり、つくりあったりしないといけない、そういう時代にいまなってきてるんだと思います。

(西研『大人のための哲学授業』「第一回 ”世界像の危機”と哲学の役割」 大和書房、2002年)

2019年12月30日月曜日

ヨハスベテコトモナシデスナー(”Pippa Passes”)

今年読んだ本からいくつか挙げたいと思います。
これで部屋の片付けも多少捗ります。
余勢を駆って、映画漫画三傑くらい、+出て来た領収書や請求書などもUPするかもしれません。

年内にできるかどうか。テキ(調教師)はランダムにラッパを吹くタイプですが。

嗜好品や娯楽をほどほどにたしなまないと、煮詰まる部分はあるでしょう。
沈黙の理由が慎重・疲弊・大事な情報から遮断されているなどと想定すると、まずは楽な気分になるでしょうか。
上の文章も、一種の嗜好品ですが。

ヨハスベテコトモナシデスガー (”Pippa Passes”)

2019年12月2日月曜日

2019.12.2 日米新貿易協定(日米FTA)について

付属書Ⅱ(2:Annex Ⅱ)の120ページ目から、
”Tariff Schedule of the United States”の表がある。 https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000527401.pdf
付属書Ⅱ(2)の内容は、英文でしか書かれていないが、効力がある。
アメリカ合衆国の側の関税なので、日本の関税については記していない。

ここでは、ふたつのことを記したい。
少なくともここに記載されている品目については、今後日本も協議していく事になるだろうという見立てがひとつ。

もうひとつも、今後の協議への推測、読み。
これらの品目についてどう関税を変えていくか、A~Kまで11項目に分けて詳しく述べてある。この詳細さと、付属書Ⅱ(2)第七条、
”Customs duties on automobile and auto parts will be subject to further negotiations with respect to the elimination of customs duties."
(自動車とその部品が、関税の撤廃に関して、今後の交渉の対象になる。)
におけるきめの粗さを比べると、この条文の読み方に補助線を引けるだろう。

ひらたくいうと、
A.自動車の関税撤廃は棚上げになっている。
B.この棚上げは、今後の協議で日本にはプラスには働かないだろう。
C.自動車の関税についての棚上げが、協議の継続自体を促進する仕掛けになっている。

というのが自分の考え。
自動車の関税がどの程度重要かについての受け方は、ひとそれぞれだろう。

いずれにせよ、(おわかりのように)付け焼刃のため判らない部分もあるが、日本の報道に偏向があるのは間違いないだろう。

長い目で見ると、個別の事案よりもその構図を変えていくことが肝要と自分は思う。

こういった事柄は、仕事以外で調べるのはたいへんだろうから、とことん精密でなくとも集約した情報をひろく知らせるため、公共放送や地上波放送が機能してくれると各方面結局はよい結果になるOR得すると考える。

送る側と受ける側それぞれに事情があるとしても、理想を失くすとどこまでも譲歩せざるをえない状況が作られる。と一席ぶってみたい。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000527401.pdf

2019年12月1日日曜日

日米FTA(日米新貿易協定)気がかり

よくわからないのだが。
早ければ明日、参議院を通る。

気になる箇所をメモしてみる。
あとで日本語、英語で元にあたってみる。

空振りならそれでもいいが、ふつうに危惧されるべき事柄と考える。

また、段階的に交渉する寸法だろうから、現時点で書かれていない項目の動向を注視することが大事と思う。
今後の成り行きと世論は連動しているはずだが、現行メディアの報道はどうなっているのだろうか。

以下、箇条書きで。
・英文でしか書かれていない項目がある。(1)
・英文のみの箇所に、関税に関する項目がある。関税の表と合わせて要確認。
・自動車の関税は「今後話し合っていく」とだけ決まっている。(英文のみ)
・再協議の取り決めを記した第六条参照。(2)
・上以外に声明等で今後の話し合いは継続するだろう。(条文からの広がりをみてゆく=文章に反映されない力関係など)

ほか覚書
・この件単体も大きな話だが。この動きを日本のメディアが殆ど取り上げないことの意味は何か。
・協定のあり方がそうであるように、総合的な物の見方も都度変わりうる。
・生活との関係。

(1)”この協定は、日本語及び英語をひとしく正文とする。ただし、付属書Ⅱ[2 ; Appendix 2]は、英語のみを正文とする”(第十一条)
(2) ”両締約国は、いずれかの締約国の要請の後三十日以内に、この協定の運用又は解釈に影響を及ぼす可能性のある問題について、六十日以内に相互に満足すべき解決に達するために協議を行う。”(第六条)

2019年11月23日土曜日

TRADE AGREEMENT BETWEEN JAPAN AND THE UNITED STATES OF AMERICA

2019/11/19
”TRADE AGREEMENT BETWEEN JAPAN AND THE UNITED STATES OF AMERICA” (https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000527401.pdf
を自分なりに訳してみる。(いろいろの説明は割愛。https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000527400.pdf )
では。


アメリカ合州国と日本のあいだにおける貿易合意

日本とアメリカ合州国(この合意の当事者)は、次のような合意に至った。
2019/11/23
条項1
「関税金(”custom duty”=tariff)」は、あらゆる種類のあらゆる関税(”duty”=tax)と課徴金(”charge”)を(……)意味する。

2019年11月17日日曜日

シンプルなセオリーを少しずつ精緻化するシリーズ

世の中や、社会のことは知ったほうがよい。

これが事実として、こういう発言や文言が反撥を受けるであろうところは、

・そんなことに割く時間ないよ
・どうせ無駄(意味ない)よ(≒知ったところで)
・私には向かない
・肝要な所は伏せられている(二つ上の亜流)
・それはそうだが、どれくらい知るかは、各人の状況・志向(欲望)によるのでは
・外側から正義がやってくるのはいやだ

この辺を、番号なり記号を割り振って、考えるといいんじゃないか。
つぶさに見ると、○×式じゃない考えが得られる可能性もあるだろう。

また、仕組みと個別の情報、とおおまかに二分して考えると、いいか。
要領はフォルダ作成感覚。(であるからして、自分の不得意分野である(≒私にはむかない)。)

2019年11月16日土曜日

引用ノック1034:川島アキレウス評

アキレウスはほとんど完全に伝統的な名誉観から自由になっていると見てよいでしょう。しかし彼は何に向かって自由になったのでしょうか。ここでアキレウスは母なる女神が告げたという、ふた筋の運命の道に言及します。それはこのまま踏み止まってトロイアの都を的に戦うなら、故郷に帰る機会は失われるが不滅の名誉を得る。他方、故郷に帰れば、誉れは失せるが寿命は長く保たれるだろう、というものでした。(……)アキレウスは彼の自由が向かってゆくべき真の対象をいまだ見出していないのです。それはホメーロスの英雄として、やはり名誉でなければならなかった。しかし伝統的な名誉観から自由になったかれにとって、それはまったく新しい内容の名誉でなければならなかったはずです。彼はこの間、まさにその新しい名誉を手探りしていたのではないでしょうか。しかしそれをしかと自覚してはいなかったし、ましてそれを積極的に表現する言葉も与えられてはいなかったのです。

(川島重成『『イーリアス』 ギリシア英雄叙事詩の世界』 岩波書店)

2019年11月12日火曜日

メモ:法治と自治

タイトルはしっくりこないのだが。

以前、町山智浩氏の番組で、アメリカ合衆国における堕胎手術の是非をテーマにした回があった。
なるほど、と思ったのが、氏による、だいたい次のような解説(たぶんに自分の考えも混ざっていると思う)。

これ(堕胎手術の是非)は、[敷衍すると、]
それぞれの州による自治と、合衆国政府の決めたルールによる統制(法治)という異なった枠組みの対決というふうに、抽象的にひろく受け取る事もできると。

現場現実系と理念系とでも呼べるか。
(元来の語彙力&不知と、メモのメモたるゆえんで、言葉の使い方がルースだが。もっと適切な用語があるかも。)

南北戦争と並べて置いてみると、別のものが取り出せるかもしれない。

話は急に折れ曲がるが、結局なにがいいたいかというと、
町山智浩氏の持っている強い関心の一つにミルトンの『失楽園』(とその周辺のテーマ)があって、それがこの法治と自治というテーマ(あるいはこっちの受け取り方)に、
独特の力を与えているんじゃないか、ということ。 (→秩序と自由 a.k.a. L/C)

「の」で終わる歌詞を思いついたサンボマスター(元400勝投手かどうかの判定は議論を呼ぶ)、たいしたものだと思うが、歌謡曲か、自分の知らない何かの影響かもしれない。

2019年9月16日月曜日

引用ノック1029:

 国民国家がいつか波打ち際に指で書かれた文字のように消えていく存在だと知らされて、そうか、それなら、とそこから考えはじめられるような状況には、わたし達はないのではないだろうか。そう考えはじめるには、それまでにやっておかなければならない侵略国「国民」としての仕事が、わたし達に残っているのではないだろうか。そしてそこからはじめなければ──何度もいうが──わたし達に国民を再定義し、よりひらかれたものにする起点は、築かれないのではないだろうか。いま大人であるわたし達は、すべての戦争は「悪」だろうと考えるにいたっている。しかし、それは、いまやどこにも十歳の子どもなど、いない、という苦い明察と裏腹である。国民国家の消滅を眼で追いながら、しかし手は汚れたまま、これまでのツケを返済しつつ事にあたる、これが起点に「汚れ」をもつ、わたし達の姿勢だろうというのが、わたしの考えなのである。

(加藤典洋『敗戦後論』「敗戦後論」 講談社、1997年 : 「敗戦後論」初出 『群像』95年1月号)

2019年7月17日水曜日

引用ノック1009:

その違いを押さえた上で、この鵜飼さんの指摘を見ると、面白いのです。鵜飼さんの言うように、この「彼女は彼に誕生を与えた」(She gave birth to him.)という言い方では、この生を与えられるというのは、まだ存在していません。つまり、というのは未成の人間だとでも考えるより仕方がない。

(加藤典洋『戦後を戦後以後、考える──ノン・モラルからの出発とは何か』 岩波ブックレット 1998年 )

2018年8月23日木曜日