この最初の著書は省察という表題のもとに、未信者たちの土地における司教のごとき in partibus infidelium 一哲学教師が、今後発表しようとするさまざまの内容をもったいくつかの論文を予告している。それらの論文のあるものは──この一連の『ドン・キホーテをめぐる省察』のように──高尚なテーマについて論じるものであり、あるものはもっとつつましいテーマについて論じ、またあるものは卑近なテーマについて論じるのである。しかしどの論文もすべて、直接的かあるいは間接的に、結局はスペインの置かれている環境に関して述べている。これらの論文は著者にとって──大学の講談や新聞や政治と同様に──同一の活動を行うための、すなわち同一の情念を吐き出すための種々雑多な方法なのである。私はこの活動がこの世の中で最も重要な活動として認められるように望んでいるわけではない。だがこの活動こそ私のなしうる唯一の活動であるということに気づくとき、私は私自身に対して自分が正しいと考えるのである。このような活動へ向かって私をかりたてる情念は、私が自分の胸の中で見いだす最も強烈な情念なのである。私はかつてスピノザが用いた美しい名前をよみがえらせて、この情念を知の愛 amor intellectualis と呼ぶことにしよう。それゆえ、読者よ、知の愛に関するいくつかの論文ということになるのである。
それらの論文には知識伝達の価値はまったく欠けている。また概論というものでもない──十七世紀の人文主義者ならば、むしろ「救済」とでも名づけたであろうような論文なのである。その中では次のようなことが探し求められる。すなわち、ここに一つの事物が──たとえば人間とか、書物とか、絵画とか、風景とか、誤謬とか、苦痛とか──がある場合、その事物をそれの所有する意味の完全な充実へと、最短距離の道を通って導くこと。いわば人生が、たえまなく岸に寄せてはかえす波の中で、難破船のむざんな残骸のようにわれわれの足もとに投げだすあらゆる種類の事物を、太陽が無数の反射光線をそそぐことができるような状態に配置すること、そういうことが捜し求められるのである。(後略)
(オルテガ「ドン・キホーテをめぐる省察」長南実訳;『オルテガ著作集 1』1970年、白水社)
(太字部は本文で傍点)
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