一九八
晴れ。気持ちよい天気だった。夕方から夜、ぐずつく。
クリーニングに出したシャツを取りに行く。白黒映画に出てきそうな、イタリア映画に出てきそうな店。
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「ひとは流れに乗ればいい、だから私は君を殺す」と言い放った時のシャアはまこと快男児で、ノリにノッている。ブログは多少の瑕疵があっても揚げ足取られづらいだろうから、予防線を張る労力を割り引ける。
今日『風立ちぬ』を見た。接ぎ木したように前向きっぽい台詞はあったものの、全体として黄昏ており、枯れた端正な映画だと感じた。地味な題材の映画からでも活力があふれるときはあふれるものだと思う。
『魔の山』をしきりと引き合いに出すドイツ人らしき男が魅力的で、印象に残った。どうもゾルゲがモデルという説が有力らしいのだが、それはさておき作中では飛行機設計の先輩イタリア人と並んで、鍵となる役所にみえた。謎めいていて純粋善ではなく、世俗にもまみれていて貴族的な、まあ見れば一発でわかるんですが設定やモデルや歴史を超越して独特の輝きを放っていた。(ホームズつながりで思い出すのはハンス・ランダ大佐。)冷静に判ずればひどい事をしていても、点で見ると善良一辺倒な人物の描き方が多いのが、すくなくとも自分にとって宮崎駿の平板な部分と感ずるところで、シラける様な気分になることもしばしばだ。この映画では序盤の活躍する二郎や、最終盤の直子などがだるかった。
「破裂するな……。」の無力感を伴う諦めがあるなら、取って付けのようにも見える兵器批判など要らなかったんじゃないか。省略の多すぎる作品なので手探りで感想書かざるを得ないが、2時間も使うならもっとやりようがあった筈で、わかる人だけわかればいいのなら、割と突き放した映画だよな、とは思う。とにかく”風立ちぬ”、なんだからさみしい物語ですよ。老境を迎えていたり、秘めた悲恋のあるような人なら或いはもっと賞味できるのか。
(双方面から馬鹿にされてもいいので)率直に書くと、自分は『もののけ姫』が好きで、特に冒頭は台詞が分からんなどの傷があっても相当な、静かな活力をたしかに感じる。作者が漲っていて、理屈抜きで描きたかったんでしょう。あれがスケールアップした大団円でなければもっと好きになっている(鈴木ドルアーガよろしくアシタカ行方不明とか。『雪の魔女の洞窟』っぽい展開だが、優等生なら先にル=グウィンの名を挙げるでしょう)。おそらく評価高いので敢えてくさすと、漫画のナウシカは特にラスト、そこまで画期的ではないと自分の中で位置付けてる。あれだけ言語に頼るなら漫画の意味がないし、じゃあ言ってる内容が先行例ないかというと、これはフィクションよりも宗教神学哲学の分野ですでに提示・開拓されてるような思想の焼き直しに思えるんですよ。漫画なら漫画固有の強みを生かした形で凄いものを見たい。
さんざ文句書いた後で思い出したけど、世界や歴史にまつわる壮大な話よりも、ナウシカの孤独な感じに着目すると、非常に心揺さぶられるものがありまして(あって)、殆ど異邦人になった我らがナウシカが男女の平凡な幸福を遠く細い目で見るような、イデの力が発動しそうなやるせないラストがあった。ように思うのですが、検証だるく俄然トイレへ行きたくなってきて今日はここまで。
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