2016年11月23日水曜日

鍵盤一打H281121月:

七一六

 ナイル川。エジプト奈辺か知らんが、生きてるうちに行く(行ける)展開になると良いと思う。

 以下日記的断片集成。急な用事ひとつあり。物騒ではない。自転車のタイヤ、空気入れる。子供連れ前提の車体あり。かつ丼喰う。また、米飯に醤油をたらして、海苔で挟んで食う。ほかは忘れた。

漏れプレイカットバック: 黒沢清『ニンゲン合格』より。直接フライパンから野菜炒めを食べるシーン。+豆知識。この映画は、『ケーブル・ホーグのバラード』から(テーマを)取材しているとか。

温読書歴112: 『新約聖書 1 : マルコによる福音書・マタイによる福音書』 新約聖書翻訳委員会・佐藤研訳 岩波書店、1995

……マチウ書試論はなんでマタイ書にしなかったんだ、かっこつけたかったからだろ、という年長者の会話を聞いたことがある。ほかにも何らかの理由はあったと思うが(内容と連動してたり)、あたらずとも遠からずというか、やはり客商売でもあるので、コピーは重要と思う次第。にてまた次回。 >「マルコ書」では、明らかにキリスト復活してないよね?

追記(2016.12.1):「マルコ書」についての昔の感想箇所、配慮が足らなかった。数日内に補足します。

追記(2016.12.6):まだ考えと叙述は整理されてませんが。要諦だけ申すと、「AだからB、BだからC、だから信じる」という形での信仰を、キリスト教では望まなかったのだろうという推測がひとつ。いまひとつは、例えば福音書が四つあることや、「伝道の書(コーヘレト書)」のような問題児も含まれている所に聖書(というか一般に聖典)の深さがあるのかと。更地から考えると、仮に「ヨハの黙示録」が今まで新約聖書に含まれておらず、21世紀の今追加されるとする。相当(どころじゃない)反発があると想像され。
宗教に限らず、ある人間のよって立つ世界観を雑に揺さぶるかねない形で記したのは、見識不足によるもので、配慮する範囲を漸次ひろげていきたく思っています。

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