2016年1月27日水曜日

鍵盤一打H280127水:卵、瞳

四一八

 ベルトの穴をひとつ開けたいが、うまくいくか。

 昨日、帰宅直後。通りすがりのおばあさんを過剰に避けて割ってしまった鶏卵を確認をしたところ、パックからにゅるりと中身が出てきて卓を伝ってジーンズと絨毯へたれてしまった。「わー」と情けない悲鳴みたいな声を発した。と、同時くらいに(As Soon As, No Sooner Than)、電話がかかってきた。
 「自分は今~なので不機嫌なんだよ(なのですよ)」というようなこと(に限らないけど)をサッサッと説明できれば多少は人間関係潤滑にいく(いった)のかもしれない。ひとによっては「まだスライムベスに手こずってたの!?(驚愕)」みたいな話でしょうが、もう全てが半ば諦めの境地で対雨宮戦もしくは対龍戦のように晒していくしか。

 今日の電車でのこと。ゴリラを擬人化したような威圧感を放つ観光客らしきおばさんを見て「うわー、すっごいイヤだなー」と思っていたのが、サングラスを外すとつぶらな瞳で、よく見ると手荷物も自分の近くに引き寄せていたりかわいらしくて(顔も相当人間に近づいた)、まあ色々のことを現状シンプルに考えすぎてるな、と自分の感性を疑い直しましたよ。
 見聞を広めるには「そんなタイトルの本読んでるの?」みたいな読書もしてゆく。バカにされても仕方ないが、余りに研ぎ澄まされると、それはそれで立派だが偏狭になっちゃうかわからないわけでしょう奥さん。旧弊な左翼や経済人、さんざ既出の凡庸な厭世観と特権意識等々、明日はわが身どころか今日ですら──。

 大上段に構えたくないけれど。大きな単位(社会など)で貧乏になっていくというのは金持ち含め日々の業務その他で今までまわっていたものがまわらなくなったり、通っていたものが通らなくなったり、とにかくまわりはゆたかだけど個人で貧乏、というのとは別の大変さが出来するんだろうという確信めいたものが形成されつつあります。本当にふつうのことをふつうに言っているだけですが、ここを飛ばすと後々足元をすくわれるだろうな、ってのは先取りしてあります。

 日記部分を6時間以内に加える。
追記:未遂に終わる。永久に忘却のかなたへ。

今日の読書(予定):
大島弓子『バナナブレッドのプディング』

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