「ほのめかしなら無罪」というついったにはびこる悪習を問い返したい。ほのめかしをする奴ほど卑劣な奴はいない。「文脈違いますよ、考えすぎですよお」で通し続けることの劣悪さについて、本気で考えるべきだろう。何のリスクもなしに他者を罵倒し続けることができる方法論。
— 北田暁大 (@a_kitada) April 16, 2014
これは同意。けど凄く多い。RT @a_kitada 差別にあらがうという人間は、けっして「SNSでのほのめかし」などという卑怯でchildishなやり方をとってはならない。逆にいうと、そういう卑劣な言葉の使い方をする人間が、差別をどうこういう資格などない。同じことをしているんだ。
— yoshihide asaco (@asaco4) April 16, 2014
しかし、掛け金ゼロで報酬を得ようとする行為はしかし、油断すると自分もやっているかも。非著名人に対してはやっておらずとも、著名人にはやっているかもしれない。
少なくとも「無意識な”くさし”を自分はしていないか」、はたまた「ある属性の人から見て自分の発言はどうだろうか」というチェックは意識してルーチンに組み込んでこなかった。
特に著名人に関しては、”所詮おなじ人間”という事実がTwitterはじめSNSの登場と台頭により顕著化、あかるみに出た訳だし、向後は相当気をつけよう。
また、(局面を問わず)リスクをとらない「ほのめかし」を執拗に他人にやってくる奴に対しては──「相手がその方法をとらざるを得なかったか否か」を顧慮した上で──、取るに足らないボウフラ、ハナクソのたぐいと考えて捨ておけば良い。
(以下、加筆部分)
しかしまー、自分がこれからどれくらい生きるかは判らんけど、上のような理念を”理屈は理屈”として、やっぱり現実に直面してクサクサすることは無限回数あるんだろうから、都度参照して活力を失わないようにしたいものだ。(夜郎自大に陥らぬよう、頭を冷した上での検証は必要だが。)
要諦は、こういうことです。ノーリスクでリターンを求めるような人間にまともな奴なんてまず居るわけない。能力の高低とかそういう問題じゃなくして。だから、相手が相応の人物ならともかく、あとから振り返って「あいつはスライムやドラキーレベルの輩だったなあ……」て感じの奴に負の感情を抱くのは端的に損なので。デジタルに行くよというセオリーを確立していこうという。
んで、どうにもこうにも限界超えたら……そのときは(相手の被害が)修復可能になるべく配慮した上で、殴りこみですよ。
どうやら最後に要らんことを書いたようだが、反省はしていない。
一日近くおいてみると、ムダに攻撃的のような気もするが、おひとよしが過ぎて今まで馬鹿な目を──誰でもそうだとは察しますが──みてきた気もするので、なんとなく雰囲気で折れたり妥協するのは禁じ手にするくらいの意気込みで行きたいなあ、と。
そのためにはもうちょい配慮する領域を広げるとか、わが身を省みて冷や汗をかく部分もあるんですが。
このようにして今回のセルフ反省会は終了した。
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