全体像をふまえた、まとまった感想は今ちょっと書ける気がしないので、覚書のようなものを思いついた範囲で、書きます。思い出したら、随時書き足す予定。
以下、メモ。
- ルソーが「弱い人」であること、また、熟議したら「強い人」による「大きい声」に消されそうな「か細い声」をすくい出して利用しようとしているのがひとつのポイントかな、と思う。
- そのか細い声はすごーく大まかにいうとフロイトの「無意識」とリンクしている、という風にこの本では触れられている。
- フロイトの無意識について、俗流の知識は勿論持っていたけれど、その着想のエッセンスのようなものをこの本でかいま見ることができたかも。ルソーもそうだけど、あるていどの補助線があると思想って格段にアクセスしやすくなるなー、と。
- むしろ「無意識」のほうが「理性」の暴走をコントロールする役割を果たすべき、という箇所に目からウロコ。と同時に、多くの人がボンヤリと思っていて言語化できなかったことがらに名前を与えてくれた気がする。思想史は
全然ほとんど知らないけど、直観で、極めて射程の広い指摘の気がする。 - この本がエッセイとして提出されていて、学術的・専門的な「防衛策」に活字を割いていないため、忙しい人でも読める分量になっているという単的な事実も、ある意味「批評」だと思う。(けれど丹念に読めば、テキトーなことやデタラメなことは書いてないように見受けた。)
- こういう(今まさに自分が書いている)断片的で、「熟慮」されていない感想や印象は活字になるべくもなく、そういうものは「ないこと」にされてきたけど、それも重要だ、というのもこの本の卓抜な点かと。
- 村上春樹の業績、具体的には作品のクオリティを落とさずに、小説や文学の敷居(ハードル)を下げて、裾野を広げたことが連想される。
- (従来の)活字批評では(書き手が)「よくわからないこと」や「口に出したら恥ずかしいこと」は「ないこと」になってたのかもなあ、と。別に吊るし上げる気はないしちょっと強すぎる言葉かもとは自覚してますが、多くのことを「黙殺」してきたのだなあ、と。それは(知的に)誠実であるかどうかの問題と繋がると思う。
うーん、色々書き落としてる気がする。再読しないと思い出さないなあ。
せめて付箋を貼っておけばよかった。
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