2019年9月12日木曜日

引用ノック1028:

「(前略)ほら、お前だって目がかがやいているじゃないか。詩はもういい。今度はお前に《虫けら》のことを話したいんだよ。神に情欲を授けてもらったやつらのことをな。

  情欲は虫けらに与えられたもの!

 俺はね、この虫けらにほかならないのさ、これは特に俺のことをうたっているんだ。そして、俺たち、カラマーゾフ家の人間はみな同じことさ。天使であるお前の内にも、この虫けらが住みついて、血の中に嵐をまき起すんだよ。これはまさに嵐だ、なぜって情欲は嵐だからな、いや嵐以上だよ! 美ってやつは、こわい、恐ろしいものだ! はっきり定義づけられないから、恐ろしいのだし、定義できないというのも、神さまが謎ばかり出したからだよ。そこでは両極が一つに合し、あらゆる矛盾がいっしょくたに同居しているからな。俺はひどく無教養な人間だけれど、このことはずいぶん考えたもんだ。恐ろしいほどたくさん秘密があるものな! 地上の人間はあまりにも数多くの謎に押しつぶされているんだ。この謎を解けってのは、身体を濡らさずに水から上がれというのと同じだよ。美か! そのうえ、俺が我慢できないのは、高潔な心と高い知性とをそなえた人間がマドンナ(訳注 聖母マリアのこと)の理想から出発しながら、最後はソドム(訳注 古代パレスチナの町。住民の淫乱が極度に達し、天の火で焼かれた)の理想に堕しちまうことなんだ。それよりもっと恐ろしいのは、心にすでにソドムの理想をいだく人間が、マドンナの理想をも否定せず、その理想に心を燃やす、それも本当に、清純な青春時代のように、本当に心を燃やすことだ。いや、人間は広いよ、広すぎるくらいだ、俺ならもっと縮めたいね。何がどうなんだか、わかりゃしない。そうなんだよ! 理性には恥辱と映るものも、心にはまったくの美と映るんだからな。ソドムに美があるだろうか? 本当を言うと、大多数の人間にとっては、ソドムの中にこそ美が存在しているんだよ──お前はこの秘密を知っていたか、どうだい? こわいのはね、美が単に恐ろしいだけじゃなく、神秘的なものでさえあるってことなんだ。そこでは悪魔が神とたたかい、その戦場がつまり人間の心なのさ。もっとも、人間てのは、痛むところがあると、その話ばかりするもんだ。それじゃ、いよいよ本題に入ろうか」

(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟 上』「第三編 好色な男たち 三 熱烈な心の告白──詩によせて」 原卓也訳 1978年、新潮文庫)

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