2016年7月30日土曜日

鍵盤一打H280729金:

六〇一

出掛けに駅前のコンビニでおにぎり、サンドイッチ、缶コーヒーを買う。500円弱で、端的に高いと感じた。まあ、昔からそうか。準備の悪さ、手数の省略はどこかにしわ寄せがくるさね。

 この日は短時間だが色々の情報行き来があり、消耗した。
 前後数日疲労と体調不良で寝ている時間長かった。身体や精神はむろん、頭脳もなまっている感じがあるさかい、適宜対策とりたいずらね。

 諸事まとめ出したらいいんだろうが、一歩目がいかにも重い。袁紹や官兵衛とは比べるべくもないが、タイラント式で藤峰雀聖の腰の重さだけ取り寄せたっけか。身近の問題をムラありつつも改善しつつ、併走して考えるべきことはある。大人になると、状況を限定する前の思考の必要なんて誰もいってくれないからな。世知辛いが、通過儀礼か。越えずに行く道もあるだろう。失意を保ち続けるにしても、選ぶのと捉われるのではだいぶ違う。
 俺達が酔っ払い水夫だ! みたいな歌が出てきたら流行すると思うがはたしてどうか。


 関係ないが、映画も小説も『ブリキの太鼓』の肝のシーンのひとつは、下の世代から石を投げられるところだろう。
 (完成度の映画、到達点の小説という按配か。後者はごちゃついてて長いので、おすすめはしづらいが。)いずれにせよ評者は評者、作者は作者、受け手は受け手という簡単な構図をあたまに留め続ける。広義の権威主義からはなれていたい。

 さて、六〇〇の答え合わせだが、冒頭に出てるずら。

本文漏れメモ:
三代記でないと現しがたい物語、内容あり。

温読書歴002:
猫田道子『うわさのベーコン』 太田出版、2000
短篇集。当時は凄く面白く読んだ。今はどうかわからない。いずれにせよ表題作よりも、「西山さん」がいい。そしてそこまで寄せるならほかの小説もそうなのかもしれないのだが、第四話めの「卯月の朝」は端整でなかなか希望の持てる善い物語だったように思う。まあ百聞は一件に如かずだからして、きになったら読むといいですよ。この表現がどう、みたいないじくるような感想を出して疑わない鈍い人間、ウンザリだがかつては自分もそうだったことを思い出す。という意味でもこの企画はいいのではないだろうか。(意気込みはフォントの大きさに現われている。)

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