2016年7月30日土曜日

引用ノック0885:Qui-16

「まあ一番いいのは競争をやめることさね」と、また別の村人が言った、「そうすりゃ、やせっぽちのほうは鉄の重しに押しつぶされないですむし、太っちょは肉を削ぎ落さないですむからな。どうだい、この競争の半分を酒手にして、このお二人を上物の飲める酒場へお連れしようじゃないか。それで何か不都合でも起こったら、俺がひっかぶるよ……いや、雨が降ったら合羽(かっぱ)を、だがね。」
(中略)
実際、二人の食欲の旺盛なことといったら、袋の底をはたいて出てきた密書の上包みまで、ただチーズの匂いがするというだけで、舐(な)めまわしたほどであった。そのあとで、トシーロスがサンチョに言った──
「友のサンチョよ、あんたの御主人はどう見ても狂人にちがいないね(デーベ)。」
「ちげえねえ(デーベ)」と、サンチョが応じた、「だけんどあの人は、どこの誰にもなんにも負っちゃ(デーベ)いねえ。[……]狂気が金として通用するところならなおのことよ。[……]」
(……)そして、顎髭についたパンくずをはらい、上衣をはたいて立ちあがったサンチョは、灰毛驢馬の手綱が取ると、「元気でな」と言ってトシーロスと別れ、歩を速めて主人に追いついた。主人はとある木の陰でサンチョを待っているところであった。

(セルバンテス『ドン・キホーテ 後篇(三)』「第66章」 牛島信明訳 岩波文庫、2001年)

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