2016年4月18日月曜日

覚書:見取り図

 見取り図というか。
・全体のなかでじぶん(達)がどういう役割を受け持っているか
・過去未来との連関でどういう局面なのか
(・濁流ならなぜいま濁流になっているのか、そもそも濁流=×と思っている自分の見立て(世界観)は偏狭なんじゃないか、やはり高品格のゴミ箱のふた理論は卓抜なのではないか、など。)

 過去・現在の流れをみて腑に落ちれば保っていける+未来と関係があるという意識を持てば日々を空疎だと感じなくなるという風に思いますがはたして。
 やや不親切に、何かを前提にしていることも往々にある。各人の力量に応じて受け取ってもらえれば、というのは『バトル・ロワイアル』に関するビートたけし(パンフレットなど)の発言だった。いずれにせよ不親切さを顕わにする程度には親切なのだ、といって不親切な気配のひと・ことを乗り切ろう(最後ヨレ)。



 要するに言葉を持たない、発語しないということは貧しいと同義のばあいがあり、今がそうだろう。
言葉でなくても全然OKで、意味不明の奇声をあげるとかやこういう外見を装う、口調を確立していくなどのアウトプットをしてみると網目の配置が変るんじゃないか(cf. 丸山圭三郎)。245で5を切るランダム立直でも、夾雑(挟雑)だと普通取られるようなことでもなんでも出したり顕在化すると見えてくるものがあるかもしれない。


 減点法で文句を言われないように、位の寒々しい基準しか生き延びてないのがもし現状ならば、通時でみてどこで何が磨耗消滅していったかを点検してゆく作業の必要があると自分は思う。し、みんな関心もあるんじゃないかね。どうです大勢の前で討論したら。社会エリートと頭に付けたいくらいエリートってのも不安定なもんで、まさかと思うような、人生順調に行ってそうな人が不全感や行き難さを抱えてる可能性もおおいにある。


 けっきょく軸をそれぞれ作るってのは多くの人には荷が勝っているのか(ほんとか)。「各自軸製造」という課題が黙示的すぎるのなら、宗教や伝統みたいにバーンとしたタイプの見取り図・見立てか、多少の混沌を呑める力学に睨みを利かした動的な仕組み、みっつめは(まだパルプだが)「各自」軸製造を醸成する空気を物理的に支える何かの確立あたり緩急募されとるんじゃないですかね(達川調)。


 枢機卿とかつて勝手に呼んでいた御仁の「それはそれとしてタスクキリング」という砂のような言葉を噛み締めつつ、こちらからは以上です。

0 件のコメント: