はしがき
誰でも歩くことはできるが、歩くときの筋肉の動きを説明できる人は少ない。呼吸は生存に必須の要件であるが、そのメカニズムを解明できる人はまれである。生活に必要な活動であればあるほど、その過程は無意識の底に沈んでいる。しかしこれらの生得の活動の場合とちがって、幼児期を過ぎてからの外国語学習では、意識の底にやがては定着し知らず知らずに働くことになる頭の動きを一度は自覚し、組織的に学習することが必要である。言語はもともと自然界の事物とはちがって、単語の意味から語法のはしばしにいたるまで、長い時間をかけて成立した社会的な結束の集積であるが、これらの約束は雑然たる集合ではなく、基礎的な結束と派生的な結束、必然的な結束と偶然的な約束が集まって1つの有機体を構成している。言語が使えるとはこの有機的体系が事故の血肉になていることであり、英語の学習とは英語の約束の体系に自己を慣らすことである。
(……)英文読解の方法を確立しようとして文法のみに頼れなかったわれわれの先輩は、明治以来多くの努力を重ねてきた。英文解釈の公式と呼ばれるものを中心とするいくつかの「英文解釈法」はその苦心のあとであるが、筆者の見解では、そこには熟語表現への過度の傾斜と、日本語を媒介とすることへの無邪気な信頼がある。 no more ... than を代表とする、日本語の思惟様式になじまない熟語的表現が日本人の目を奪ったのは当然であるが、これらの表現は英語の中心ではなく、四季折々に現れる料理の彩りにすぎず、それに習熟することと英語そのものが読めることとは、ある程度別の次元のことである。また、いわゆる公式が、so ... that=「非常に...ので」のように、単に日本語への言いかえを示すことで満足していることの背景には、漢文の摂取に見られた「外国語→日本語→事柄」という図式がある。(中略)
「基礎」が分からないと思いこんでいる学生の中には、文の5文型・時制・不定詞・関係詞などについて一応の知識を持っている人が意外に多い。kの段階の人に必要なのは、「基礎」と実際の英文をつなぐための新しい次元の学習である。「基礎」を構成する個々の要素は単純であっても、それが複雑に組み合わさり、言語表現という制約の中に組みこまれるとき、そこには「基礎」と別の次元の問題が生じている。このレベルの問題を分析すること、いささか大げさに言うならば、直読直解への具体的な1つの方法の提示と受けとめてもらえば、筆者の願いは達成されたことになる。
使用上の注意
1. 本書のねらいは上述のように、筆者とともに考えることを通して、英文解読の際の姿勢の確立をはかることであるから、例文の1つ1つについて、筆者がその例文をあげることによって、何を理解してほしいのか、また、最初の理解が筆者の結論と違った場合には、なぜ筆者の説くような考え方をしなければならないのかをじっくり考えてほしい。
(……)
4. 訳出に際し注意すべき事項は訳出の工夫として別冊にあげてある。
(……)
1977年1月
伊 藤 和 夫
(伊藤和夫『英文解釈教室 [改訂版]』 1997年、研究社)
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