2015年9月18日金曜日

引用ノック0764:34-c

 学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義の間に懐から母の手紙を出して読んだ。
(中略)
「僕がさっき昼寝をしている時、面白い夢を見た。それはね、僕が生涯にたった一遍逢った女に、突然夢の中で再会したと云う小説染みた御話だが、その方が、新聞の記事より聞いていても愉快だよ」
(中略)
「[……]僕がその女に、あなたは少しも変らないというと、その女は僕に大変年を御取りなすったと云う。次に僕が、あなたはどうして、そう変らずにいるのか聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日が一番好きだから、こうしていると云う。それは何時の事かと聞くと、二十年前、あなたに御目にかかった時だという。それなら僕は何故こう年を取ったんだろうと、自分で不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しい方へ方へと御移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時僕が女に、あなたは画だと云うと、女が僕に、あなたは詩だと云った」
「それからどうしました」と三四郎が聞いた。
「それから君が来たのさ」と云う。

(夏目漱石『三四郎』新潮文庫)

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