(つづき)
前にした署名のことは頭にあったが、自分はそこで期日前投票をした。
投票棄権(や白票)を呼びかける署名をしながら、自分は投票をした訳で、この二つの行動には一貫性がない。
今振り返ると、自分の行為が外からどう見えるかということ、自分の中の一貫性、この二つの点で考えが甘かったと思う。
当時の自分がどんな考えを持っていたか、正確に復元はできない。
そのときの行動の契機やその内実は、こんな感じだったと思う。
区役所内に投票を促す配置があって、かつそれが押し付けがましくもないふうに思えた。
その仕掛けに、シンプルに心を動かされたということが、一つあった。
この選挙に抗議する意味で投票しないのだという、強い信念や一貫性への誠実さを自分が持っていたら、そこで投票していなかっただろう。
いい加減な署名を自分はしたことになる。
短期間で考えが変わっていることは、動かない。
ただ、署名の時点で出し抜いて投票してやろうとは思っていなかった。
そこにダウトをかけられても仕方ないと思う。同時に、ダウトをかけるならかける方も、それが空振りだった時には、相応の責任を持つべきだろう。
今回の選挙と直接は関係のないことだが、自分にとっては選挙について考える、その手前に位置する大事な事柄なので、先に記した。
一挙には無理だとしても、言葉に責任を持つことを目指したい。
(つづく)
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