それは、つねに、何らかの具体的状況が当人に課する問題にはじまり、具体的状況の中でその問題の解決に終る。その解決そのものが仮説であり、それは探求の出発点となる。もとの状況からどのように問題をきりとるか、問題をたてることとその問題を解くこととが、もとの状況といかにかかわるか。それは、普通には、論理学においてとりあげられない。しかし、この側面こそ、デューイが、全力をあげてとりくんだところであり、デューイの論理学の特色はここにある。(中略)
一つの判断が真であるか、偽であるかということは、その判断にとって根本的なものではない。真の判断というような言い方を、デューイは、保証された判断という言い方におきかえる。(……)
このようなとらえ方は、あくまでもデューイの土俵にたって、具体的状況の中での人間の探求を事実として特長づける時には、なりたつ。しかし、論理の操作を別の見方で見ることは可能であり、別の見方があり得るということを、デューイが十分に理解したかどうかはうたがわしい。
(中略)
このように、命題を記号相互の関係において、記号と対象の関係において、記号の使用される場において、という三つのレヴェルで考察することができる。このようにして、プラグマティズムの思考分析を、[……]一つの体系に統合しようとするチャールズ・モリスの考え方に、デューイは承服しなかった。
(鶴見俊輔『デューイ』 講談社、1984年)
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