あとがき
小林秀雄と吉本隆明にとって、昭和二十年の「敗戦」はある独特の意味を持っていたように思う。
吉本にとってそれは、いわば”夢から醒めた”ように、それまで疑えないものとしてあった言葉(理念)の空間から放り出されるような体験であったろう。また小林にとって敗戦は、たとえ過ぎた時代が夢のようなものと感じられようと、自分が見たものは確かに見たのだということを確認するような契機を与えるものだったはずだ。
(中略)
言葉が強い魅惑力を持ってわたしたちを捉えているうちは、わたしたちはその言葉が支持する”現実性”を露疑うことができない。なにかわたしたちに見えないある条件が、その言葉の世界の確信を与え続けているからである。ところが、この条件が失なわれると、言葉の現実性(=強度)もまた失速する。そういう事態に彼らは出合い、この言葉の奇妙な背理をもっとも深い問題の核として彼らは生きたのでなかったろうか。
(後略)
(竹田青嗣『世界という背理 小林秀雄と吉本隆明』 河出書房新社、1988)
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