七一九
温読書歴115: マイケル・ルイス『マネーボール[完全版]』 中山宥訳 ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2013
……昔の自分による感想、やたら鼻息荒く、赤面する。罰としてそのまま下に晒す。
──科学と宗教ワンセット、とはよく言われるが、いまいち分からん感じだ。この本の中でも、クリスチャンの投手が上から球を放っていたのが横手になりアンダースローになり、その度にいいピッチャーになっていった、というエピソードが半ば宗教的に描写されている。映画においても統計や確率を超えた何かがほのめかされており、9割が数値でも残りの1割に否定神学的な何かが残る、という本であり映画でありポストシーズンでありますよ。たぶん。
>丸谷才一氏は解説で褒めてるけど、冗長で弛緩した構成と感じた。文をみるに言葉の選球眼が発展途上。訳も難あり。自分もネットでは言葉を垂れ流しているわけですが、見るべきところ多いけれど、緊密でない長文長篇は害悪と俺は思う。肝としては、ビリー・ビーン及び作者のアナログデジタル混在、科学と宗教の関係などもっと面白く反映できたろうに、と惜しいような気持ち。毎日ネクタイスーツの世界に浸かっていればより楽しめたかもしれんが、半ばアホ臭く感じたのも事実。スノッブ。一定の評価既にあるので辛目の評価。米溢。ま自分も鑑みますが。
追記(2016.12.1):
「ネクタイスーツの世界」のくだりを中心に、不特定多数の人間が見るに堪えるような水準に達していない。該当箇所は(軽慮への戒めとして)そのままにする。加言・更新します。
追記(2016.12.2):
結論ありきでなく、なるたけニュートラルな何かを提供しようとすると、まず長くなる。
OOTPというメジャーリーグ経営(+監督)のシミュレーションゲームがありまして。膨大な量の選手がいてデータがあり、ルールと操作のとっつきづらさを割り引いても面白いんですよ。ライトユーザの自分でも面白い。面白いんだけれど、そこに「裏方感」が共存しているのが興味深く。ビリー・ビーンはじめ、ごく一部の輝く瞬間をクローズアップしているだけで、堅実な実務により場が成立しているのだろう、といった想念が喚起されるような、裏方感ありのプレイ感であります。管理・マネージ側、大将側の疑似体験をすると、なんというか将や長と兵は違うのだなと。海千山千の面々が興行を成立させる過程に思いを馳せるに至るような、蓄積や暗黙知を読者が有していることが前提な作りの本なのかな、と。読み側の素養や咀嚼力不足から、冗長に感じ、否定的な感想を発信するのを、自分の好きな分野では苦々しく思っていた訳です。が。(深夜に続く)
→2016.12.06 夜: 一見、合理性がかちすぎている風にも見えるアメリカのベースボール。ルールをニュートラルに点検していくと、合理的なんだけど飼い殺しがないように(起きづらくなるように)設計されている様に、見受ける。選手とチーム運営担当の双方、+リーグ全体でなるたけ人が活きるように、という理念は、ルール5ドラフトの導入などを見ても、否定しづらいだろう。裾野が広いので、人が動くことを前提にしているのは選手側に(も)配慮がある訳で。
穿った見方をすれば、たとえば三角トレードを成立させてガッツポーズするシーンは、運営側の出しゃばりに取れる。し、そう思っていたことを率直に記しておくけれども。この場面の高揚を深く受け取るなら、埋もれている人材を活用したり適材適所を促進したりという要素が重要で、鑑賞サイドが平板でない快感を得るには、その辺の素養が必要なのかな、と。
話を元に戻して、ポイントとなる部分を煎じ詰めると、なぜ自分はネクタイスーツへ荒く当たったか。ばば抜きで他人にジョーカーを推しつける様なやり口が横行することがどの分野でもあり、そういう個別の事例を一般化しすぎて、ネクタイ・スーツの世界への偏見と浅い知見に基づいた発言になったのだろう。特に誰から具体的に抗議されたという訳ではないのですが。
よいネクタイスーツ勢と、わるいネクタイスーツ勢がいる。これはひとの受け売りですが、「~勢」のところへ任意の名詞を代入して、だいたい通じることが多いんじゃないでしょうか。
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