2015年11月12日木曜日

鍵盤一打H271110火

三四一

 雨など。部屋すこし片付ける。

 昨日の結果により、今後の計画を大幅に見直し作り変える必要が生じた。
 動き出す前にあらかじめ腹をくくっておかないと、ひどいことになりかねない。悪いときに無暗にジタバタしないのは大事だ。同時に少しずつ状況を変えていかないとジリ貧でもある。

 嘘でも何かしらの見立てや枠組み、希望がないと人間安定して前へ進めないものだろう。嘘と分かりつつモードで信じるというのはまあ対症療法で、自分に限れば、もう少し足掻きたい。
 やはり今まで信じていたものが崩れた幻滅って部分もあると思う。そういう事情は今の日本社会に蔓延していて、この程度でも発語してみると多少は見晴らしがよくなる(気がする)。

 身も蓋もない事実とセットになる言葉(と処方)がみつからない限り、それらはおおっぴらには語られないだろう。
 要するに、壁にぶつかっている。

今日の随想:
ひとりひとりでやることを定めるのは酷(こく)すぎるやろ?、だからワイが泥をかぶって何をするべきか(愛情を持って)決めたるんや、というくだりが高名な「大審問官の章」にある。ドストに限らず、大御所も噛み砕けば割とシンプルなことを言っている。シンプルに記したら商売にならないのは分かる。これから暫くは実学に圧されて(良い意味で)ヘタレな学問は表の世界から駆逐されていくだろう。既存のポストは要領のいい人に引き続き利用してもらうとして、アングラで野垂れ死に上等、見たいな所からしか何か生まれないんじゃないか。というか元来そういうものだったのが、特需状態が続く幻想でハードル低くなってたのか。寧ろ幻想と呼ぶのも後付で、当時は条件整っていたか。『悪霊』エピグラフの聖書の引用に出てくる豚の大群の混迷迷走が、ちょうど大審問官の規範策定に恩恵を蒙るスペイン市民と対になって思えた。が切りがない、とりとめがないので以降は紙とペンフィールドへ移遷。……
 いずれにせよ会社程度でも大きくなれば小回りきかないので、色々不満があっても原因を人に属させすぎないようにいきたい。それと厭世気分は別。すばらしい社会では全然ないけど、それと人も別。切りがない、とりとめがないので以降は紙とペンフィールドへ移遷。

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