太宰治というとこの小説のイメージで、それはある意味間違ってはいないんですが。
そしてこの遺作は、嫌いな人は嫌いで、敬遠されて然るべき何かを含んでいることは確かでしょう。
さて、前置きはこのくらいにしてこの小説を(年令的に)大人になってからぼくが学んだことは、
「ああ、人生は途中で終わりうるんだな」
というシンプルなことでした。
言葉をこねくりまわすのが好きな人は(ぼくもその傾向があるのを自覚してますが)、ケッと思うかもしれないけれど、シンプルなことでも理解の深度があり、ほんとその時は腑に落ちたというか、成程と思ったんですよ。
今は当時の緊張感と気概と比べるべくもないていたらくではあるんですが、人間一度通過した状態に戻れない、ということはないでしょう。
というか、一度も経験したことない未知の領域に行けるかどうか、それも分らない訳で。
再生の物語、新生・覚醒の物語は不朽ですよ。
否定する輩は、無神論を声高に主張するくらい滑稽なわけでね。
以上です。
本文から漏れた内容
・キホーテとサンチョ・パンサ
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