2014年3月17日月曜日

引用ノック0584:戦争についての覚書

おれにとって、命より大事なものはない。ダナオイの子らが来るまえ、まだ平和だったころに豊かなイリオンの町が所有していた財宝しかり、ピュトの岩山の上に建つ弓神アポロンの神殿の石壁の中にしまわれている富もまたしかり。牛やまるまると太った羊は奪うこともできる。鼎(かなえ)や褐色のたてがみをもつ馬は買うこともできる。しかし、人の命は、いったん魂が歯の垣を越えて飛び去ってしまえば、戻ることはない。奪うことも取り返すこともできないのだ。
アンドロマケが言いそうな言葉だ。しかし、この言葉は、『イリアス』においては、戦争を信仰する男たちのなかで最高位の神官であるアキレウスが口にしている。(中略)その声──戦争を称える記念碑の下に埋もれながら、なお生きることを選択し、戦争に決別を告げる声──の中に、ギリシア人たちには実現の出来なかった、ひとつの新しい文明の姿を、『イリアス』は垣間見させてくれる。彼らはその存在を直感し、理解していただけでなく、彼らの感性の中に隠れた安全な一角で大事に育んでいさえした。(中略)
 この物語が、市民生活に不可欠なほとんど自然なはけ口として戦争を描いていることは、疑う余地がない。しかし、ただ単に戦争の記述をするだけではなく、『イリアス』はより重要で、あえて 言うなら、許しがたいことをしている──戦争の魅力を歌い上げているのだ。しかも、圧倒的な力強さと情熱をもって。(中略)命を賭けて激突する瞬間にのみ、放物線の栄えある最高点に達することができるのだ──このような戦争賛美を通して、『イリアス』は不愉快ではあるが、逃れようのない、次のような事実をわたしたちに突きつけている。数千年のあいだ、戦争は人間にとって生きているという実感──人生の美しさ──をもっともリアルに、もっとも強烈に感じさせてくれる究極の状況でありつづけた。(中略)ほんの数年まえまで、ウィトゲンシュタインやガッダのように、非人間的な戦場でのみ自分自身を見出すことができるという確信のもと、繰り返し戦場や前線に赴いた知識人、それも一級の知識人がいたものだ。(中略)
 『イリアス』がわたしたちに教えてくれることは、今日、いかなる種類の平和主義も『イリアス』が語る戦争の美しさを、あたかもそのようなものは存在しなかったように、忘れたり、否定したりしてはならないということかもしれない。戦争は地獄だ、とだけ教育するのは虚偽であり、害をもたらす。むごく聞こえるだろうが、戦争は地獄ではあるが美しいということを、忘れてはいけないのだ。開闢(かいびゃく)以来、人間は炎に引き寄せられ死んでいく蛾のように、危険の中に身を投じてきた。(中略)なぜなら、灰色の日常から解放される、それが唯一の方法だと信じているからだ。(中略)わたしたちがほかの種類の美学を創出できないかぎり、戦争の与えてくれる昂揚感がなければわたしたちは生きていけないのだということを理解する必要がある。(中略)死が発する輝かしい光に照らされていなくとも、人生に強い意味を与えることができるということ。(後略)

(アレッサンドロ・バリッコ『イリアス トロイアで戦った英雄たちの物語』「もうひとつの美──戦争についての覚書」草皆伸子訳)

0 件のコメント: