2013年12月2日月曜日

メモ:小林秀雄「モオツァルト」はアリか(未)

小林秀雄の「モオツァルト」という有名な批評がありまして、小林同様、この作品もげんざい煉獄にいる訳ですよ。

秀雄の功罪はそこいらじゅうでさんざっぱら言われている筈ですが、
「モオツァルト」に代表される氏の罪のひとつとして、
「門外漢でも一点突破すりゃどんな分野でも批評(文芸評論)を書いてOKだよね」(1)的な万能感と混じり合ったGOサイン(a.k.a.暗黙知・共通認識)をフォロワーに植えつけた。ということがあると認識してます。

で、仮に「モオツァルト」がアリだとする場合、書き手がモーツァルトの評伝・伝記に取材するというアプローチをとった点が肝だ、と考えます。
ルポルタージュやノン・フィクション的な手法といいますか。

そこを履き違えて、周到な準備をせずに安直によく知らないことについて言及する迂闊な評論が多いよなと。なんだかなーと。
そのジャンルの愛好家が鬱屈やら憤怒やらしないわけがないじゃないか、と思うわけでありますよ。過去の実績にあぐらかきやがってと。お前なんでそこの席にいるのと。当大介に屈託した思いを抱きながら牌譜をとる海鼠のきもちなわけですよ!(未了)

(1)ある賞の選考で、将棋について言及された評論に基礎的な間違いがあるのでダメ、と保坂和志が申し立てたところ、福田和也が<小林秀雄の「モオツァルト」だって音楽的にはツッコミ所だらけなんだからいいじゃん>的な返しをしたという逸話がある。(保坂はそれでも容認できない間違いなのだ、と書いていた。)

極私的人物紹介
保坂和志……『小説の自由』、『季節の記憶』などを書いた人。えらそう。
福田和也……小説に点数つけたりしている人。エンタメ系につよいらしい。えらそう。
小林秀雄……「教祖の文学」とか「旦那芸」とか煽られつつも権威として機能していたらしい人。中也周辺。えらそう。

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