2013年5月13日月曜日

ことば2

ゲル状の考えをつらねたので、以下、ぐにゃぐにゃした文章になってます。

喇叭を吹く人間の言葉を、自分と同程度には慎み深さがあるだろうと勝手に予想して付き合い、損をしたと思うよ。
他人への敬意や謙虚さと、他者に対して無条件に理想的な人間像を投影するのは、まったく別の事柄だ。

芸能の言葉、話芸と、ビジネスの言葉、組織内の言葉は当然異なる。
そして、これらは浸透して混じり合っている。

がんらい自分は寡黙な人間だったのだから、そう戻っていくだろう。
サービスとしてしゃべる技能がすこしついたのはよいことだけれども。
人の心が迷路だとしても、やはり長年来の付き合いと、会ったばかりの人間とは、違う。
ごく少ない友人がいればいいさ。いまはそれも危ういけど、それを隠さない程度にはヘタれてない。

いまの殺伐とした心境とそれを醸成した環境、これを改善できればあるいは、
ここ数年の経験を生かして、自分の立ち位置をだいぶ俯瞰して見ることはできるだろうと思う。


あと一歩かもしれない、とは思うんですよ。
みたくないものをみて、むきあいたくないこととむきあう、言うは易いけどできてる人は意外や世にほとんどいない。てのがここ数年の観察結果。

場所と仲間をつくる。そのためには、一本筋の通った道をつくり研鑽を重ねる。
割合に極端な生き方をしてきて、相場から遠い価値観を持っているのだから、相容れない生き方をしている人との交流はほどほどにしておかないといずれ破綻あるいは破産する。

ひとりかふたり、ひとりかふたりの仲間がいればいい。

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