2013年4月26日金曜日

推理小説と(SFと)(元)文学とプロトコル

推理小説はほとんど読んだことないんですが、外からみて「謎」の存在を前提にしているのでコミットしやすそう、と思います。
「インド人はチートだよ〜」とニヤニヤ笑うインド人や、「俺はウソつかないから〜」とチャラチャラした感じで嘯く男たちのひねった誠実さに似ているというか。

(SFについて:完成度とアイデアについて、小松左京『神への長い道』のあとがきを援用しつつ加筆予定)

で、純文学と目されているジャンルは作品における謎の有無が、専門家の間ですら曖昧だったりするので、「プロトコルとしての教養」や「コミュニケーションのツール」としてはかなり厄介だなと。少なくとも日本においては。

さすがに推理小説を読んでトリックをわからなかったのにいけしゃあしゃあと作品を評論する人は少なそうなんですが。

文芸批評は、(小林秀雄のような)ポエム要素と(無自覚かもしれない)ハッタリを一時的にでも抑制すべき、と自分は考えます。

文芸評論と社会への言及がセットになる形式も、いったんゼロから考えて、外の人間にもわかるように説明する言葉が切実に欲しい。

狭義の「批評」が現代日本で機能しているのか自分にはよくわからない。箱の中ではそりゃ機能してるでしょうけど。
冷たい視線への、黙殺はもうさすがに通用しない時期のような。

音楽業界や映画業界はどうなんですかね。

(あとで加筆・修正します)

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