明後日、高橋源一郎『恋する原発』をテキストに小規模の読書会を予定している。
けど、どうにも着手に気が重い。(雑誌収録版は既読。)
山本昌『133キロ怪速球』の入り易さとの違いはなんだろうと思う。
現代日本の純文学が廃れてきた原因とリンクしてるんだろうね。
敬愛する高橋氏は、ポップ文学の旗手として鮮やかにデビューして、吉本隆明たちから絶賛された筈だけれど。
うーむ。
書き手の「環境」については、当初の雑誌(『群像』)掲載拒否といい、帯のセンスの末期的な時代遅れ感といい、とくに編集周辺が致命的な印象は受ける。
単行本版未読の現時点では、慎ましさが足りないのかな、とボンヤリ思う。鼻息が荒すぎるというか。
山本昌の本や「魔法の減らない鍋」、ネット上の言葉や呟きに比べてどうだろう。(未完)
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