やがて本格的な民間企業が出現するようになってからも、政府の要望や政策はなおも巨大なウェイトをしめていた。利潤の追求は、けっしてそれ自体が目的とはならなかった。日本の会社が求めたのはつねに名誉と特権とであった。工場の支配人は、国は奉仕し、上司にしたがい、部下を訓練し保護することが自分たちの義務だと考えた。そのような姿勢は、何世紀にもわたって日本を支配してきた武士階級の倫理から直接に由来していた。勇気、忍耐、忠誠といったかつての武士の美徳は、いまや新しい製鉄所、繊維工場、造船所などの建設や経営の面で……、大きな役割を果たしていた。会社や工場の内部の人間関係もまた、古くからの武士と農民との関係にならう傾向があった。労働者は工場の支配人の命令に従い、それとひきかえに一生のあいだ生活の面倒をみてもらうのである。不況のときでも、従業員は解雇されなかった。べつの新しい仕事が見つけられるか、あるいはそれまでの仕事を何人かで分担することになるかだった。そのかわりに従業員には絶対の忠誠ときびしい服従とが期待されたし、現実にそのとおりになったのである。ヨーロッパの国々をしばしば悩ませたストライキなどの労働争議は、日本ではほとんどおこらなかった。
(中略)
(…)まったく新しい技術がつぎつぎに導入されていく間にも、命令と服従というこの鎖がたちきられないですんだのは、この国の社会に息づいていた相互義務と責任の関係に支えられていたからであった。この関係はかつての伝統的な社会におけるそれときわめて似ていたから、すべての関係者はたいして疑問に感ずることもなく、それを受け入れる用意ができていたのである。
(マクニール『世界史』第�部 27 「産業主義と民主主義に対するアジアの反応」)
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