ホサナ! という言葉を叫ぶことはなくても、似たような感情を持つことはあるだろうかね。なまじ言葉が同じもんだから油断したり期待のハードルが高騰する、ってのあるでしょう。とにかく今着ているシャツが窮屈だ。
今日は不如意の一日。相手のあることは難しい。昼の渋滞、およびあすへの鋭気を養う必要からぼちぼち寝るよ。
メモ:
TVブロスの柳下、宇多丸両氏の『シン・ゴジラ』評。特に前者の評に語らずの部分と奥行きを感じた。
温読書歴024: ハイデガー(ハイデッガー)『存在と時間(下)』 ちくま学芸文庫 細谷貞雄訳 1994
……ふり返ると、このあとに世界の名著へ進んだのだな。あらいが、だいぶ水増し感のあるカール御大の大巨編名著よりは無駄がなく、慣れればおさらいし易いサイズか。ある程度逆算して目標と紐付けないと、この手のは読みづらい状況と体力である。少なくとも現境では。ある程度走らせて持続性その他把握するといいか。微分の罠もあるがサブ要素。文章に否定形が多いときは要休息かもしれない。ので煮えきらないが、時間もないし、ここまで。
>終盤は難渋したものの、予想よりはすらすらと読めた。
ハイライトはやはり「先駆的覚悟性」だが、その根拠となる現存在の「無性」=<責めあり(負い目あり)>というのが印象に残った。この辺が、デリダに影響を与えているのかな。サルトルの『存在と無』も似たような内容かも。
時間をおかず、違う訳で読み返したい(岩波以外、たぶん渡辺二郎訳)。
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