六〇六
ブルーレットおくだけのパチモンを、百均で買ってきた。これだけで幸福度がそうとう上がるのだから、手数は大切だ。単純な脳味噌、脳髄に寄せていく工夫も大切だろう。
出掛けに手間どったり、時間を間違えたりミスおおかった。動く以上は甘受するほかない。「だが」、「が」、のような繋ぎを減らして順接の比率を増やしてゆきたい。
日記も書けなくはないが、どうも気が乗らない。本当になんでも書けたら。
二日か三日に一遍、惹句を付することにしよう。随時マイナーチェンジしていく。
さいきんの読書:
最近は『赤ヘル偉人伝』と竹田(青)数冊、そして近藤ようこ『逢魔が橋』から懐かしくなり『水鏡綺譚』を読む。『ドン・キホーテとサンチョの生涯』(ウナムーノ)、ようやっとだが、『ドン・キホーテ』を読み終えた。気合一発で読んだ甲斐があり、セルバンテスとホメロスに共通のものを取り出せた様に思う。大御所でも固有名はどうでもいいけれど、作品と作者と読者の関係について思うところあり。ケチなので、ここにサクッとは書かない。
温読書歴:11,12,13
011: 楳図かずお『イアラ』
……序章の「さなめ」が素晴らしい(らしい)。答えより問いのスケールが大きい(らしい)。読後ことある毎に「イアラー!」と叫んでいた記憶がうっすらある。既に青年とは言い難い年だったが、瑣末なことに捉われては偉業を成就したり、気勢をあげたりすることはできないのだ。
012: 大島弓子『バナナブレッドのプディング』
……当時はよくわからなかった。今はそれなりに追える筈。そして語る性向・駆動力は減じている。
だいぶ昔の読書なので、このコーナーは難しいところもある。「当時の感じ方」を対象に語る感じだろうか。自分得かもアヤしいもんだが、コストもかからんので、続けてみよう。(ボリュームと繰りすぎに注意か。)
013: 古井由吉『神秘の人びと』 岩波書店、1996年
……うーん、この本くらいの知名度、普及度になると、本の内容紹介も必要か。今更か。ダルい。そして、1から遡って付け足すか。
マルティン・ブーバーというひとがドイツ語で編んだ、当時の人びとの神秘体験告白録(当時邦訳なし)。これに、作者が注釈をつけたり持論を展開したりしていく形式。たしか古井は大病のあけた後。
「虚白の部屋」がダントツにすばらしくて、なぜ俺がこんなの(失礼)読んでるかというと、川本ケンというひとの黒沢清『ニンゲン合格』評に出てきたから。脱線するが、たいして興味ないのに箔づけで宗教なり学問なり文学なりを読んで威張る奴は、全員撃墜されろと思う。(付言:もちろん職業・生活上で必要な場合は除いて。付け焼刃だったり有機的に結びついてない表面上の知識に気圧されて、有望が去って無望が残る状況があるなら厭だなと思う。どの分野でも。)
閑話休題。「虚白の~」に使われている女の告白は、シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』とだいぶ内実が重なるとみている。要するに、神に愛がないのが最高、救いなんだという。個人として掘り下げていけば字面上はともかく精緻で深い思想なんだろうと思うが、決定的に社会と親和性が低い気もしますわね(張本風)。支持。
ブーバーはスラッガーな感じがしませんか。面白いけれど単調な書物を読む場合、そんな感じの色彩投影もアリでは。ちなみに『イリアス』(イーリアス)は、guchonの「穴水」をBGMにして読んだ。
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