それが不思議にも続きもので、右の端の巌の上に立っている三匹の鶴と、左の隅に翼をひろげて飛んでいる一羽の外は、距離にしたら約二三間の間悉く波で埋っていた。
(中略)
兄さんは暑い日盛に、この庭だか畑だか分らない地面の上に下りて、凝(じっ)と足尊踞(しゃが)んでいる事があります。時々かんなの花の香(におい)を嗅いで見たりします。かんなに香なんかありやしません。凋(しぼ)んだ月見草の花片(はなびら)を見詰めている事もあります。着いた日などは左隣の長者の別荘の境に生えている薄の傍へ行って、長い間立っていました。私は座席からその様子を眺めていましたが、何時まで経っても兄さんが動かないので、仕舞に縁先にある草履を突掛けて、わざわざ傍へ行って見ました。隣と我々の住居(すまい)との仕切になっている其処は、高さ一間位の土堤(どて)で、時節柄一面の薄(すすき)が蔽い被さっているのです。兄さんは近づいた私を顧みて、下の方にある薄の根を指さしました。
薄の根には蟹が這っていました。小さな蟹でした。親指の爪位の大きさしかありません。それが一匹ではないのです。しばらく見ているうちに、一匹が二匹になり、二匹が三匹になるのです。仕舞には彼処(あそこ)にも此処にも蒼蠅(うるさ)い程眼に着き出します。
「薄の葉を渡る奴があるよ」
(後略)
(夏目漱石『行人』「塵労」 新潮文庫、1993年改版)
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