[……]有名にして人口に膾炙せる典籍もおおかたは名のみ聞きて、眼を通さざるもの十中六、七を占めたるを平常遺憾に思いたれば、この機を利用して一冊もよけいに読み終わらんとの目的以外には何らの方針も立つるあたわざりしなり。かくして一年余を経過したるのち、余が読了せる書冊の数を点検するに、わがいまだ読了せざる書冊の数に比例して、そのはなはだ僅少なるに驚き、残る一年を挙げて、同じき意味に費やすのすこぶる迂闊なるを悟れり。余が講学の態度はここにおいて一変せざるを得ず。
(青年の学生につぐ。春秋の富めるうちは自己が専門の学業において何ものかを貢献せんとする前、まず全般に通ずるの必要ありとし、古今上下数千年の書籍を読破せんと企つることあり。かくのごとくせば白頭に至るもついに全般に通ずるの期はあるべからず。余のごときものはいまだに英文学の全体に通ぜず。今より二、三十年の後に至るも依然として通ぜざるべしと思う。)
(中略)
ここにおいて読書を廃してまた前途を考うるに、資性愚鈍にして外国文学を専攻するも学力の不充分なるため会心の域に達せざるは、遺憾の極みなり。されど余の学力はこれを過去に徴して、これより以後さほど上達すべくもあらず、学力の上達せぬ以上は学力以外にこれを味わう力を養わあざるべからず。しこうしてかかる方法はついに余の発見し得ざるところなり。ひるがえって思うに余は漢籍においてさほど根底ある学力あるにあらず、しかも余はじゅうぶんにこれを味わい得るものと自信す。余が英語における知識はむろん深しというべからざるも、漢籍におけるそれほどに異なるがためならずんばあらず、換言すれば漢学にいわゆる文学と英語にいわゆる文学とはとうてい同定義の下に一括し得べからざる異種類のものたらざるべからず。
大学を卒業して数年ののち、遠きロンドンの孤灯の下に、余が思想ははじめてこの局所に出会せり。人は余を目して幼稚なりというやも計りがたし。余自身も幼稚なりと思う。かほど見やすきことをはるばるロンドンの果てに行きて考え得たりというは留学生の恥辱なるやも知れず。されど事実は事実なり。(……)
(中略)
ロンドンに住み暮らしたる二年はもっとも不愉快の二年なり。余は英国紳士の間にあって狼群に伍する一匹のむく犬のごとく、あわれなる生活を営みたり。ロンドンの人口は五百万と聞く。五百万粒の油のなかに、一滴の水となって辛うじて露命を繋げるは余が当時の状態なりということを断言してはばからず。清らかに洗い濯げる白シャツに一点の墨汁を落としたる時、持主はさだめて心よからざらん。墨汁に比すべき余が乞食のごとき有様にてウェストミンスターあたりを徘徊して、人工的に煤烟[煙]の雲をみなぎらしつつあるこの大都会の空気の何千立方尺かを二年間に吐呑したるは、英国紳士のために大いに気の毒なる心地なり。(後略)
(夏目漱石「『文学論』 序」、中公クラシックス『私の個人主義ほか』(2001年)ほか収録)
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