「(……)「わしらの才能だって」と、持主が応じました、「今わしらが直面しているような場合ででもない限り、あんまり役に立ちそうにないね。しかも、この場合だって役に立つかどうかは、神様の思し召し次第だよ。」
これだけ言うと、二人はふたたび別れて、それぞれ鳴きまねを再開しました。(……)実は、その不運でかわいそうな獣が返事などするわけがなかったのです。森のいちばん奥まったところで、とっくに狼に食い殺されているのが見つかったのですから。驢馬の死体を目にした持主は、こういいました──(中略)
「いや、報われたのはわしのほうさ」と、相手が答えました。「まあ、修道院長が上手に歌えば、かけ出しの修道士もおさおさひけはとらぬ、というやつさね。」
このあと、がっくりと肩を落し、喉をからして村に戻った二人は、隣り近所の者や友人知己に、この驢馬探しの一部始終を、それぞれ相棒の鳴きまねの見事さをひどく誇張しながら語って聞かせたものだから、これがなべて近隣の町や村に知れ渡ることになりました。(……)鳴きまねは村から村へとどんどん広がっていき、しまいには、手前ども驢馬鳴き村の住民は、白人のなかの黒人があからさまに目立つのと同じように、見分けられ、差別されるようになりました。そして、この不幸な愚弄が激しさを増した結果、ついには、からかわれたほうが武器を手にし、徒党を組んで、からかった連中を襲撃するというようなことが頻繁に起こるようになったのです。(……)手前の見るところでは明日かあさって、手前どもの村、つまり驢馬の鳴きまね村の連中が、自分の村から二レグアほどのところにある村に殴りこみをかけるはずですが、それはこれが、手前どもを最もしつこく愚弄し、迫害した村のひとつだからです。(……)」
(後略)
(セルバンテス『ドン・キホーテ 後篇(二)』「第25章 ここでは驢馬の鳴きまねの冒険の発端が語られ、次いで人形師の愉快な冒険と占い猿による記憶に値する占いが書きとめられる」 牛島信明訳 岩波文庫、2001年)
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