2016年4月7日木曜日

引用ノック0843:ゲーラ・ジュンケイロ、ドン・アロンソ・デ・エルシリャ・イ・スニガ;ウナムーノ03

ピサロはこう叫んだ。「ここからはペルーへ、金持になるための道が通じている。ここからはパナマへ、貧乏人になるための道が通じている。良きカスティーリャ人たらんとする者は自分にとってもっとも良いと思われる方を選べ」と。ドン・キホーテは彼とは別の気質の人間であった。つまりけっして金を求めなかったのである。そしてわれわれは、最初のうちは金を求めたサンチョが、徐々に栄光への愛着と愛を獲得し、また栄光に対する信仰、ドン・キホーテが彼に吹きこんだ信仰を獲得してゆくのを見るであろう。わが国のアメリカ征服者たちがつねに黄金への渇きに栄光への渇きを結びつけ、それぞれの場合にあってその両者が分離できないものであったことを銘記しておく必要がある。(中略)
 悲しいことに、たいていの場合、栄光は欲心の女衒であった。そしてその欲心が、このいやしい欲心が、われわれを破滅させたのである。わが民族はゲーラ・ジュンケイロの『祖国』という壮大な詩の中でポルトガル国民が歌っている言葉をわが言葉とすることができる。

われは新しき世界を、新しき生の空間を見たり
されどそは、より大いなる知識、崇敬のためならず
すさまじき強欲わが歩みを囲繞[いじょう]し、
執念深き誇りわが両眼を満たし、
しかりわが両眼を狂おしく照らせり。
汝殺人者の血よ、汝は幾先年にわたる涙をもってしても
洗いおとされることはなかろう! …
ゴルゴダの十字架は鉄と変わり、
わが英雄の剣は死の十字架に、
しかりわれらの生命のために神が降し給うた
十字架は鉄と変われり。
汝は人々の生命を枯らして非人間的、かたくななものとなし、
帝国を起こして東国を征服せり、
されど神は怒り給いて……すべては空し……
[第二十三景]

(中略)

(いにしえ)のビスカヤ人の粗野な性格、
げにそこから、
発見されしあらゆる国々に
気高さが広がれり。

 「私が騎士でないというのか」、侮辱を受けたビスカヤ人が正当にもそう答えた。かくして二人のドン・キホーテが相まみえたのである。だからこそセルバンテスは、われわれにこの事件を物語るに際してかくまで冗漫なのだ。
 ビスカヤ人の挑戦を受けたラ・マンチャの男は槍を投げ出して剣を抜きはなち、円楯に腕を通して突進して行った。

(ミゲル・デ・ウナムーノ『ドン・キホーテとサンチョの生涯』「第1部 第8章」(ウナムーノ著作集2) 法政大学出版局、1972年 アンセルモ・マタイス 佐々木孝 共訳)

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