2016年4月7日木曜日

引用ノック0841:Qui-09(2-S15)

さて、自分たちの作戦がものの見事に失敗し、遍歴の旅がみじめに終ったことにがっかりしたトメ・セシアルは、学士にこう言った──
「サンソン・カラスコの旦那、こりゃまったくの自業自得ってやつですよ。気軽な気持で事をおっぱじめても、なかなかうまくいかねえというのが普通ですからね。ところでドン・キホーテは狂気だが、わしらは正気。しかし、むこうは息災でにこにこしていたのに、お前様はさんざんな目にあって泣きっ面。そこで、ひとつ教えておくんなさいよ。否でも応でも狂人だってやつと、自分からすき好んで狂人になるやつと、どっちがより狂ってるんでしょうかね?」
 これに対して、サンソンが答えた──
「その二種類の狂人の相違は、否応なしに狂気におちいったのは、いつまでも狂っているのに対して、物好きでなたほうは、いつでも好きなときにやめられるということさね。」
「そういうことなら」と、トメ・セシアルが言った。「わしはお前様の従士をかってでたとき自分の意思で狂人になったんだから、同じく自分でそれをやめて、家に帰ることにしますよ。」
「あんたはそうするがいい」と、サンソンが応じた。「だが、わたしにはドン・キホーテを棒で打ちのめしもしないで家へ帰ることなど、とてもできない相談さね。しかも、これからはあの男を正気に戻すためにではなく、この屈辱に対する復讐をするためにあの男を追うことになるだろうよ。なにしろ、このあばら骨のひどい痛さでは、とても慈悲ぶかい気持にはなれないからな。」
 二人はこんなことを話しながら道をたどっていたが、やがてある村に着くと、そこで運よく骨つぎが見つかったので、痛みに苦しむサンソンはその手当てを受けた。それから、トメ・セシアルがサンソンに別れを告げて故郷の村に向かう一方、残ったサンソンは復讐の手段についてあれこれ思いをめぐらせた。しかし物語は、いずれまたしかるべき折に彼をとりあげることにして、次はドン・キホーテの愉快な話を記している。

(セルバンテス『ドン・キホーテ 後篇(一)』「第十五章 ここでは《鏡の騎士》とその従士が何者であったかが語られ、彼らのことが明かされる」 牛島信明訳 岩波文庫、2001年)

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