ここではハイデガーが対象になってますが、それは範例にすぎない。要は西欧の超越論的な哲学というのは、石と人間、精神なきものと精神あるもの、ハイデガーの術語で言えば「存在者」と「現存在」の対立しか扱えないんですよ。そのあいだにある動物的存在、つまり、精神をもっているようでもっていないような、曖昧でいい加減な存在者は扱えない。(中略)
しかし、僕は、哲学は、超越論的論理の華麗さで競うものではなく、もともとこういうあいまいな領域に取り組むものだったと思うんです。
(東浩紀・大澤真幸『自由を考える』より 東の発言)
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