2011年2月6日日曜日

マルコによる福音書についての覚書

「マルコによる福音書」(新約聖書翻訳委員会訳、岩波書店)の最後だけチェック。
やはり記憶どおり、イエスの復活は「顕現」なし。
(イエスの)死後、マグダラのマリヤ達が(ふたをしていた石が外れているのに気づき)、墓の中に入ると見知らぬ男(若者)が居る。彼がイエスの復活をほのめかす。
それを聞いた彼女たちが(恐れをなして)正気を失って逃げる、というところで終わっている。

そのあとに補遺が(一応)ある。しかし「伝道の書」同様、全体のトーンと調和せず、翻訳者達は「後代の付け足し」とみている。

(以下の部分、2011.2.6 21:45頃加筆)

(……)そして週の初めの日、朝たいへん早く、日の昇る頃、彼女たちは墓へ行く。そこでお互いに言い続けた、「誰が私たちのために、墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょう」。しかし目を上げて見ると、なんとその石がすでに転がしてあるのが見える。というのも、(その石は)ひどく大きかったのである。
 そして墓の中に入ると、彼女たちは白い長衣をまとった一人の若者が右側に座っているのを見、ひどく肝をつぶした。すると彼は彼女たちに言う。「(そのように)肝をつぶしてはならない。あなたたちは十字架につけられた者、ナザレ人イエスを探している。彼は起こされた、ここにはいない。見よ、ここが彼の納められた場所だ。むしろ行って、彼の弟子たちとペトロとに言え、『彼はあなたたちより先にガリラヤへ行く。そこでこそ、あなたたちは彼に出会うだろう』と。彼が〔かねて〕あなたたちに語った通りである」。
 しかし、彼女たちは外に出るや、墓から逃げ出してしまった。震え上がり、正気を失ってしまったからである。そして、誰もひとことも言わなかった。恐ろしかったからである。

(「マルコによる福音書」 16:6-9)

※新約聖書翻訳委員会による解説は以下の通り。
マルコ福音書はここでいささか唐突に終る。研究者によっては、復活者の顕現を物語る元来の結びが消失したと推測する。だが、これは憶測以上のものではなく、十字架の悲劇的姿に集約していくマルコのキリスト論からしても、おそらく不必要。なお、これ以下〔「補遺1」以降〕に訳出された節は、すべて後代の加筆。
(『新約聖書1 マルコによる福音書 マタイによる福音書』岩波書店、1995年)

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