2010年9月22日水曜日

ユリイカ、タランティーノ特集

菊地成孔、黒沢清、蓮實重彦と胸踊る面子。
しかし、じっさいには、菊地は『イングロリアス・バスターズ』ではなく『デス・プルーフ』への言及に終始(なぜなら、『バスターズ』を見てないから(笑))。
そして黒沢、蓮實の二人は対談。
蓮實重彦の『キル・ビル』パンフレットの批評はしょっぱくて辟易したが、それ以上にしょっぱい対談だった。
特に、敬愛する黒沢清が、『キル・ビル』の深作欣二に捧ぐ、という文句をまったく捉えていないのには驚いた。
黒沢は、ゴーゴー夕張の死ぬシーン、あそこが『バトル・ロワイアル』へのオマージュだと言っていた。いやあ。しょっぺえなあ。
『バトル・ロワイアル』へのオマージュというのはあたっているが、それは仇敵にして父なるビルの倒されるシーンの、『バトル・ロワイアル』の教師キタノの倒されるシーンへのオマージュだよ。
黒沢は、『キル・ビル』は勿論、『バトル・ロワイアル』も急所を摑んでいないことになる。
昨日読んだ秋山駿の『罪と罰』の読みが非常に深かっただけに、これらの映画批評の浅さを感じた。まあ『表層批評宣言』を読んでからもの言えという話ではあるが。
いや、勿論黒沢清は現代日本随一といっていいくらいの映画監督だし、蓮實重彦に対し、自分は偏見を抱いているものの、やはり映画に関して膨大な知識の蓄積があるのだと思う。
しかし、『イングロリアス・バスターズ』に正面からぶつかっていない、というのは感じた。
阿部和重『シンセミア』にしても、黒沢清『アカルイミライ』にしても、あれだけの傑作が、ちゃんとした批評がかかれていないのは哀しいことだ。
(とおもって、蓮實重彦のHP──そんなものがあるのだ!──を見たら、『アカルイミライ』について非常にまっとうな批評が載っていて、ちょっと安心した。)
まだ読んでいないが、むしろ有名でない書き手の、特にキルケゴールを引用している批評に本気度を感じ、期待している。

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