「六三制、野球ばかりが上手くなり」と当時の川柳でも詠われたように、終戦後の暗黒時代を救ってくれたのはベースボールだった。
1949(昭和24年)、このオドール監督率いるサンフランシスコ・シールズが戦後初めて来日し、全日本が手も足も出なかったときのショックほど、頭の中深く焼き付いているものはない。いまでもシールズの打線がそのまま、記憶に残っている。(……)
店内に入るとオドールの輝かしい時代の写真が、所狭しと飾ってある。1935年、ジョー・ディマジオ(大変若い)とシールズのユニフォームで写っているもの。そして1950年、そのディマジオを連れて後楽園球場で模範打撃をしたときの写真……。
こうした中で、いまは伝説になったシールズ来日の際、名古屋・中日球場の満員の観衆が、強い雨でズブぬれになって観戦している前で、オドール監督が番傘をさして三塁コーチス・ボックスに立った写真もあった。
(中略)
[……]大リーグ選抜チーム監督として再度、日本の土を踏み、日本のファンから「オドールさん、オドールさん」と親しまれた。
戦後のすさんだ時代に、これほど光を与えてくれた野球人はいなかった。日米野球交流史をひもとくとき、真っ先に名前を挙げるべき恩人といっていいだろう。
(伊東一雄『メジャー・リーグ紳士録 Major League Who's Who』「Francis O'Doul フランク・オドール」 ベースボール・マガジン社 1997年)
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