「何をぬかすか、この悪党の田舎者め!」と、ドン・キホーテがどなった。
そして、一時も手放すことがなかった槍を振りあげると、捕吏の脳天めがけてものすごい一撃をくらわせたものだから、あれでもし、すばやく身をかわさなかったとしたら、相手は間違いなくその場に伸びてしまったことであろう。(中略)かくして旅籠全体が、泣き声と、叫喚と、混乱と、恐怖と、おののきと、狼狽と、刃傷と、殴打と、足蹴と、出血からなる坩堝と化したのである。(……)
「どなたも手を引きなされ! さあ、剣を鞘に収めて、鎮まるのじゃ! どなたも命を失いたくなくば、拙者の言うことをよく聞きなされ!」
一同がこの大音声に動きをとめた。すると彼はこのように続けたのである──
「おのおの方、この城が魔法にかけられており、ここには悪魔の一群が巣食っておると、拙者は申しあげませんでしたかな? その証拠をおのおの方の目でしかと確認していただきたいが、かのアグラマンテの野の争いがここに移され、今われわれのあいだにもちこまれておったのでござる。(……)」
(中略)
「(……)さらに言えばじゃ、自分に邪魔立てしようとする四百人の捕吏に対し、たった一人で、四百ものしたたかな打擲をくらわせる気概を欠いた遍歴の騎士がこの世にはいた、そして今もおり、今後も存在するであろうなどと思っておるのか、そんなことは絶対にないぞ!」
第四十六章
(……)すると逮捕状を持った捕吏が、自分はただ上役に命ぜられたところを実行するまでであって、ドン・キホーテの狂気を判定するのは自分の人ではない、そして、いったん逮捕しさえすれば、そのあと三百回釈放されようと知ったことではないと答えた。(後略)
(セルバンテス『ドン・キホーテ 前篇(三)』 牛島信明訳、岩波文庫、2001年)
0 件のコメント:
コメントを投稿