一三九
ECD『TEN YEARS AFTER』を聞いている。アルバム単位で、家で音楽を聴くことが少なくなっていた。罠か。惰性だととことん押し流されていく。世の中も世界もけっこうマヌケであることは一応記しておく。自分鑑みますが。
この”鍵盤一打”の文章の最適化されてない断片な感じが今の自分の特徴な訳だけれども、ガリガリいわせてマザーボード大破しなければそれなりに人の持っていないものもあるだろう。自分の持ち物の相場感・立ち位置などは仲間や他人との対話から得るしかない。今は山田風太郎の小説(ほぼ未読)でいう所の隠れ里修行時代と思いたい。
昨日眠りすぎて、今日はバタバタした。近しい人間(色気要素ゼロ)が体調悪いというので、心が落ち着かない。いくら善意があろうとも、素人には限界があるので医者へ行ってほしいと思うが、本人が病院嫌いだから難しいところ。ひとの好き嫌いにも、(とくに言語化されていないだけで)ちゃんと理由があるでしょうからね。
今日は「ウソだろお前!?」というくらいチグハグした一日だったが、検証すると天気予報チェックを怠っていたり、物や時間の管理がずさんだったり、計画が短期的に過ぎたりで膿が出たと考えて修正してゆく。
最近とにかく腹の底から感じるのは、頭の善し悪しや性格肉体精神力などの初期値よりも、立て直す能力、これが人生において肝だなということ。
字面は地味でも、理解の深度を高める価値のある領域と考える。
では地底人のみなさんまた明日。風邪に気をつけて。手洗嗽の励行を。
本文から漏れた生活記:
・中央図書館へ行くも、時間の都合から滞在時間数十分。
・雨に傘の備えなく、昨日ジーパン洗った所へいかにも間が悪いなと心中悪態つく。関係ないがズボンという言葉が廃れていって、それで代替の言葉は定着しないというのはいかにもマヌケだ。もっというと、若さにモノをいわせるような感性のどれほど凡庸で古臭いかを自分で気づく程度のことは過度な要求でもないだろう。以上愚痴といえば愚痴だが、表面ニコニコでかつての若者が悲惨になったら邪険に扱う、てのがいちばん惨酷と(自分の価値体系の中で)定位。
・読書も部屋片付けも雑事消化も連絡も、バランスよく少しずつこなすというのが苦手だ。このゴツゴツした気質にある程度フィットする生活の仕方を発明しなくてはならぬ。
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