2014年5月20日火曜日

雑記:攻撃性について

 俺は自分の攻撃性がこわい。
 他罰的か内罰的かというと、どちらでもない気がする。(暴走はするけれど。)
 その精神領域が未成熟なんだろう。

 自分の攻撃性が何に発するのか、考えるのも憂い感じだけどそこに頭を使わなくてどーするという気もする。
 或いはそのエネルギーを流す回路を作る(通道する)か。

 「なにをてめーは小難しいことを考えているんだ」、という声も聞こえてきそうですが、人それぞれタイプがあり、「ものごとが所定の位置に収まっている感覚」≒「秩序の感覚」が最低限ないと、普通の事を普通にするにも難儀だったりするんですよ。

 難しいことを考えると調子を乱すタイプの人間に向ってあれこれ言い過ぎる、という行為が悪手であることは広く認識されている気がしますが。逆もまた然りで。
 体育会的なやり方が必要な局面はあるだろうけど、その後の相手の人生にまでおめーら責任取れるのかよ、と。
 理屈先行タイプが彼の得意とする方法で報復しても文句はいえないだろう。
 と、仮想敵に対して攻撃性が発揮されてきたところでこの文章は終わるのだ。

2014.5.24 追記:
 年を経て関わる人間の数と種類が増えるにつれ、個人主義では立ち行かなくなってくる。
 いかに洗練されていても、単一の価値観に由来する狭隘さが限界にぶつかるというか。
仮想する相手(脳内対話者)を高く見積もる。敬意を払う。
 という好敵手=強敵(=とも)的構えで、足の引っ張り合いワールドに距離を置いたりお別れしたりできるんじゃないか、そんなことを考えます。
 こちらの出方、初手ひとつで人も社会も挙動がガラリと変わってくるものな。
 いうはやすしだけど、まあ言わせてくださいよ。

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