2014年3月15日土曜日

『とらドラ!』感想(含微ネタバレ)

先日見終える。

絵的には地味かもしれないが、放心状態になるようなラストだった。
では鬱エンドかというとそんなことはなくて、むしろこれ以上ないくらいの美しい終わり方なのであります。

然るになぜショックを受けたかというと、何かを端的に突きつけられたからだ。
突き付けられた結果、自分がある何かと向き合うことから逃げに逃げた挙句、本質的に思考を放棄していた或いはそれとは無縁だった、ということが明るみになった。そう考える次第だ。

少し話が飛びますが、特にこの物語終盤における登場人物たちの本音のぶつけ方が凄いんですよ。
凄いからといって、イデの力が発動するような事態にはならないんですが、暗がりにあった思いの吐露、ぶつけ合いによって彼らが高め合う姿はやはり胸を打つんですよ。
と同時に、覚悟を決めて人と向き合うことが、今までの自分の人生で絶無なのでは? という致死的な問いが胸に去来してしまったみたいで。

「それは優しくてとても甘い。多分、見ることができたなら、誰もがそれを欲しがるはずだ。」と、モノローグに近似したかたちでラストにふたたび示される訳ですが。
例えば、「──多くの人が存外、大なり小なりこのような境地に至ってるんじゃあないか、俺はもう若くはないしいま気づいてどうするん!? 」という驚愕と震え。
例えば、「登場人物たちの高潔さは、それへと未到ではあるが矢張り各々個人のやり方で一歩ずつ黙々と近づこうとしているからだろう。」という独り言により照らし返されるわが人生の奈落。
例えば、自分は自分で自分の可能性にフタをしてきてしまったなあ、という嘆き。

だがまー、このすばらしき主人公たちですら、時間こそ凝縮されているもののもどかしい程の逡巡と錯誤を繰り返しているのも事実。
人がどう思おうと、年なんて関係ないよ。わかってくれる人が一人いてくれればいい。(@カワシマ)
案外自分は理解者にだけは恵まれてきた、と捉えることは無理筋でないように思う。

にしても、人間間違いを認めるのはたいへんなことだ。
プラスチックVSプレパラートの構図を越えて行きたい。

まー自分のペースで行って、命脈尽きたらそれまでよ、と割り切る度胸がありゃいいんだが。
思考はともかく、たとえうまくいったとしても、力量的に暫くは慎ましい生活が待っているだろう。だからこそ探求する何かを切望する訳ですが。

いずれにせよ、運が悪けりゃ死ぬまでよ的な開き直りのない限り、寧ろ死ぬ。
引き換えに安逸を手にしていたんだし、これから作っていけばいいか。
壊れっぱなしなんてことはないと竜児が言ってたがほんとかね。

「だからこそ、誰もそれを見たことがない。」

情けないけど、掃除は苦手なのよね。

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