アキレウスはほとんど完全に伝統的な名誉観から自由になっていると見てよいでしょう。しかし彼は何に向かって自由になったのでしょうか。ここでアキレウスは母なる女神が告げたという、ふた筋の運命の道に言及します。それはこのまま踏み止まってトロイアの都を的に戦うなら、故郷に帰る機会は失われるが不滅の名誉を得る。他方、故郷に帰れば、誉れは失せるが寿命は長く保たれるだろう、というものでした。(……)アキレウスは彼の自由が向かってゆくべき真の対象をいまだ見出していないのです。それはホメーロスの英雄として、やはり名誉でなければならなかった。しかし伝統的な名誉観から自由になったかれにとって、それはまったく新しい内容の名誉でなければならなかったはずです。彼はこの間、まさにその新しい名誉を手探りしていたのではないでしょうか。しかしそれをしかと自覚してはいなかったし、ましてそれを積極的に表現する言葉も与えられてはいなかったのです。
(川島重成『『イーリアス』 ギリシア英雄叙事詩の世界』 岩波書店)
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