2018年12月27日木曜日

引用ノック0989:

嵐が丘の家が見えてこないうちに、日の名残は西の空にひと条さす鈍い琥珀色の光ばかりになった。とはいえ、道の小石から草の葉からひとつひとつ見えるぐらいの冴えざえとした月夜である。
(……)
中まで入らずとも、彼らの姿は見えるし、話す声も聞こえてくる。うろうろしているうちに、好奇心と羨(うらや)みあいなかばする気持ちが芽生え、わたしはそれに動かされて、奥を覗きながら立ち聞きをしてしまった。
「あい・はん・する、だったら!」(……)わたしはやけに卑屈で恨みがましくなり、台所に身を隠すべくこそこそと裏へ回った。
(中略)
「ヒースクリフさん! 旦那様!」あたしは大声を出しました。「お願いですから、よしてください。お化けでも見るような目で見入ったりして」
「お願いだから、怒鳴らないでくれ」ヒースクリフはこたえて云いました。「ぐるりと見まわしてみて、どうだい、俺たちふたりだけか?」
「当たり前じゃありませんか」あたしはそう答えました。「もちろん、ふたりだけです!」
(……)
 ようやくわかったのですが、壁を見ているのではないんです。というのも、彼だけに目を向けてみると、どうやらまさに二ヤードも離れていない何かに見入っているらしいのです。しかもそれがなんであるにせよ、ずいぶん極端な形で喜びと苦しみの両方を伝えてくるようでした。少なくとも、苦しげでありながら恍惚としたあの人の顔からすると、そう思われました。
 その夢幻(ゆめまぼろし)のほうも、ひと所にじっとしていないようです。あの人は飽かず気をはりつめて目で追い、あたしと話すときさえ目をそらそうとしません。
(中略)
「ここに住みたがるような幽霊たちに明け渡すわけだ」わたしはそう云ってみた。
「こらこら、ロックウッド様」ネリーはかぶりを振って答えた。「死者たちは安らかに眠っていると思いますが、軽々しく噂話をするもんじゃありませんよ」
 そのとき、庭門がばたんと閉まった。散策に出ていたふたりがかえってきたのだ。
「あのふたりなら、恐れるものなどないだろうさ」近づいてくる彼らを窓ごしに見ながら、わたしはぼやいてみせた。「ふたり力をあわせて、サタンの率いる軍勢にも立ち向かっていきそうだ」
 ふたりは玄関の沓摺石に足をかけたところでふと立ち止まり、最後に月を仰ぎ見た。
(……)
 わたしは立ち去りかねて、穏やかな空のもとしばし墓畔を歩き、ヒースや釣り鐘草のあいだを飛びかう蛾を眺めて、草原にそよ吹く幽かな風の音に耳を澄ました。(……)

(E・ブロンテ『嵐が丘』 新潮文庫、鴻巣友希子訳 2003年)

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