2017年6月7日水曜日

鍵盤一打H290605月

九二六

 ノイズとそうじゃないものを隔てるのは意味でありますな。
 意味を編んで布置を整えていく機能と、それを充填する内容があるでしょうな。寡言でお察し頂ければ。
 
 数日経つだけで、言葉についての感じ方が、がらっと変わることも当然ありましょう。
 あんまりその時々の言葉の行き交いを信じる必要がないとアタマでは判っている。追っての感じ方なんて、その時の環境再現力が相当怪しい訳で。あるが距離置いての点検でこそみえることもあり。

 杳的部分を安易に手放さないことは大事だ。意味ありげなことを投じて前パラグラフの煮え切らなさをごまかしたい。

 日記的な面では、いいことわるいことあり。久々に体を動かす。ならしつつ、徐々に善化を図れれば。苦手意識のある分野では、30点でも続くこと重要。夕方雨。布団ずぶぬれ。

追記:
この日布団を敷けず、疲労が蓄積したのだった。なーんだ、という思いと自分はアホかという思いない交ぜだが。むりくり良い所を見るなら、布団のない状況をさしてイレギュラーと感じない雑駁な部分かね。

飯:
冷やし中華、ハンバーグ、食パン、ミートスパゲティ
ペスト4:
オランに混乱はない。「美観もなく、植物もなく、精神もないこの町」と形容されている。なにがしかの不気味さがある。否定的な描写のあとに、湾の前面、明るい丘に囲まれた台地中央に位置することが示される。が、おそらくはもったいないことに、海に背を向けて町が建てられている。手間はかかるが海まで近いともいえる。
オランの街に興味が湧いてきた。舞台描写も、つぶさに見ていくといくらでも面白い部分は出てくる。
大抵の小説は二度読まれないということをどう考えるか。

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