エピローグ
1
シベリア。荒涼とした大河の岸に一つの町がある。ロシアの地方行政の中心地の一つである。この町に要塞があって、要塞の中に監獄がある。この監獄の中に第二級流刑囚のロジオン・ラスコーリニコフが、十カ月まえから収容されていた。(……)
(中略)
彼は大斎期の終りから復活祭週いっぱい病院に寝ていた。もうよくなりかけた頃、彼は熱にうかされていた頃に見た夢を思い出した。彼は病気の間にこんな夢を見たのである。全世界が、アジアの奥地からヨーロッパに広がっていくある恐ろしい、見たことも聞いたこともないような疫病の犠牲になる運命になった。ごく少数のある選ばれた人々を除いては、全部死ななければならなかった。それは人体にとりつく微生物で、新しい旋毛虫のようなものだった。しかもこれらの微生物は知恵と意志を与えられた魔性だった。これにとりつかれた人々は、たちまち凶暴な狂人になった。しかも感染すると、かつて人々が一度も決して抱いたことがないほどの強烈な自信をもって、自分は聡明で、自分の信念は正しいと思いこむようになるのである。自分の判決、自分の理論、自分の道徳上の信念、自分の信仰を、これほど絶対だと信じた人々は、かつてなかった。全村、全都市、全民族が感染して、狂人になった。すべての人々が不安におののき、互いに相手が理解できず、一人一人が自分だけが真理を知っていると考えて、他の人々を見ては苦しみ、自分の胸を殴りつけ、手をもみしだきながら泣いた。誰をどう裁いていいのか、わからなかったし、何を悪とし、何を善とするか、意見が一致しなかった。誰を有罪とし、誰を無罪とするか、わからなかった。人々はつまらないうらみで互いに殺し合った。互いに軍隊を集めたが、軍隊は行軍の途中で、とつぜん内輪もめが起った。列は乱れ、兵士たちは互いに躍りかかって、斬り合い殴り合いをはじめ、嚙みつき、互いに相手の肉を食い合った。町々で警鐘を鳴らし、みんなを招集したが、誰が何のために呼び集めたのか、それが誰にもわからず、みんな不安におののいていた。めいめいが勝手な考えや改良案を持ち出して、意見がまとまらないので、ごくありふれた日常の手工業まで放棄されてしまって、農業だけがのこった。そちこちに人々がかたまり合って、何かで意見を合わせて、分裂しないことを誓い合ったが、──たちまち何かいま申し合わせたこととまったくちがうことが持ち上がり、罪のなすり合いをはじめて、つかみ合ったり、斬り合ったりするのだった。火事が起り、饑饉がはじまった。人も物ものこらず亡びてしまった。疫病は成長し、ますますひろがっていった。全世界でこの災厄を逃れることができたのは、わずか数人の人々だった。それは新しい人種と新しい生活を創り、地上を更新し浄化する使命をおびた純粋な選ばれた人々だったが、誰もどこにもそれらの人々を見たことがなかったし、誰もそれらの人々の声や言葉を聞いた者はなかった。
このばかばかしい夢がこれほど悲しく彼の思い出の中にあとを引いていて、この熱病の悪夢の印象からいつまでもぬけきれないことが、ラスコーリニコフを苦しめた。もう復活祭の第二週になっていた。あたたかい、明るい春の日がつづいた。監獄の病院でも窓が開けられた(鉄格子の窓で、その下を見張りが歩いていた)。ソーニャは、彼の病気の間、わずか二度病院に見舞いに行っただけだった。一度ごとに許可をもらわななければならなかったし、それが容易なことではなかった。しかし彼女はよく、殊に日暮れどきなど、病院の庭に来て窓の下に立っていた。ときにはただちょっと庭に来て、遠くから病室の窓を見るだけで立ち去ることもあった。ある日の夕暮れ、もうほとんどよくなったラスコーリニコフは眠りからさめると、何気なく窓辺へ寄った。すると彼は思いがけなく、遠くの病室の門のそばにソーニャの姿を見た。彼女は佇んで、何かを待っているふうだった。(……)彼はぎくっとして、急いで窓をはなれた。次の日はソーニャは来なかった。その次の日も同じだった。彼は自分が心配しながら彼女を待っていることに気がついた。(……)
(後略)
(ドストエフスキー『罪と罰(下)』 工藤精一郎訳 新潮文庫、1987年)
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