2016年7月31日日曜日

引用ノック0889:Qui-18

彼は敗北を喫してからというもの、これから述べるように、万事においてよりまっとうな判断をするようになっていたのである。さて、二人は一階の部屋に泊まることになったが、部屋の装飾といえば、そうした田舎でよく見かけるような、絵模様の入った古いつづれ織りの掛け布だけで、そのひとつには、ヘレナの略奪、つまり豪胆な客人パレスがヘレナを夫のメネラオスから奪っていく場面が、おそろしく下手な絵筆によって描かれており、もうひとつの掛け布にはディドとアエネアスの物語の一場面、すなわち、フリゲート船か二本マストの帆船に乗って海を逃げていく客人アエネアスに対し、ディドが高い塔の上から、半分に折りたたんだシーツでもって合図をしているところが描かれていた。
 これら二つの絵にあっては、拉致されるヘレナがいやな顔をするどころか、こっそりと忍び笑いをしているのに対し、麗しのディドは、その目から胡桃ほどもある大粒の涙を流しているのが見てとれた。この点を認めたドン・キホーテは、こんなことを言った──
「ともに客人に心を寄せるこの二人の婦人が、今の世に生まれてこなかったのは、まことに不運であったし、わしもその昔に生まれなかったことにおいて、誰よりも不幸な男よ。もしわしがその時代にあって、あの男たちに出くわしていようものなら、トロイヤが灰燼(かいじん)に帰することもなければ、カルタゴが壊滅することもなかったであろうぞ。ただわしがパリスを殺すだけで、ああした多くの災厄を回避することができたはずだからな。」
「おいら賭けてもいいけど」と、サンチョが言った、(後略)

(セルバンテス『ドン・キホーテ 後篇(三)』「第71章」 牛島信明訳 岩波文庫、2001年)

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