「いずれ明日な!」イワンは叫んで、帰ろうとしかけた。
「待ってください……もう一度その金を見せてください」
イワンは札束を取りだして、示した。スメルジャコフは十秒ほど見つめていた。
「さあ、もうお帰りください」片手を振って彼は言った。「イワン・フョードロウィチ!」彼はふいにまた、イワンのうしろ姿に声をかけた。
「何の用だ?」もはや歩きながら、イワンはふりかえった。
「さようなら!」
「明日までな!」イワンはまた叫んで、小屋を出た。
(中略)
(……)ミーチャは大声で叫んだ。「虱を櫛でとってくれたことは、感謝していますし、僕の乱暴を赦してくれたことも、ありがたいと思います。この老人は一生を通じて正直者でしたし、親父に対してもプードル七百匹分くらい忠実でした」
「被告は言葉を慎みなさい」裁判長がきびしく言った。
「わたしはプードルなんぞじゃありません」グリーゴリイも不平らしく言った。
「それじゃ、僕がプードルなんだ、この僕が!」ミーチャが叫んだ。「もし、侮辱的だとしたら、その言葉は自分で引き受けて、老人には赦しを乞います。僕は野獣だったし、彼に対しても冷酷でした! イソップ爺に対しても、やはり僕は冷酷でした」
「イソップとはだれです?」裁判長がふたたびきびしく注意した。
「あのピエロですよ……親父です、フョードルのことです」
裁判長がさらに重ねて、たしなめるように厳格な口調でミーチャに、もっと慎重に言葉を選ぶよう注意した。
「自分から裁判官の心証をそこねることになりますよ」
(後略)
(フョードル・ミハイロウィチ・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟(下)』「第十一編 兄イワン」~「第十二編 誤審」 原卓也訳 1978年、新潮文庫)
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