2016年1月3日日曜日

引用ノック0815:ブリキの太鼓B

エーリヒ・カイザーの『ダンツィヒの歴史』、[……]『ローマ争奪戦』、これもまた海へ出かけた兄の手垢にまみれるうちに光沢と背表紙とを失った。グレートヒェンの本箱で一冊選ぶとすると、『貸し方と借り方』[……]は清算するとして、ゲーテの『親和力』か、絵入りの厚ぼったい『ラスプーチンと女たち』だった。
 かなり思案のあげく──選択が限られていて、すぐには決めにくいのだ──自分でも何をつかんだか知ることなく、ただおなじみの本能の声に従って、まずラスプーチン、つぎにゲーテを手に取った。(……)オスカルよ、おまえがゲーテの時代に太鼓をたたいていたら、ゲーテはさぞかしおまえに不自然だけを見ただろう。おまえを肉体化した不自然ときめつけ、自分の自然を──たとえ不自然なほど自然ずくめであったにせよ、賞嘆し、敬いもした──自分の自然を甘すぎる菓子を養い、おまえという哀れなできそこないを、『ファウスト』(「拳、げんこつの意味がある」)でなければ『色彩論』の大著で殴殺したことだろう。
 それはともかく、ラスプーチンだが、彼はグレートヒェン・シェフラーともども、ぼくに大小のABCを伝授してくれた。女は大切に扱うべきことを教え、ゲーテに傷つけられたときは、ぼくを慰めてくれた。

(グラス『ブリキの太鼓』「ラスプーチンとABC学習」池内紀訳;池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅱ-12)

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